「蒸気機関車がいた時代」

中央西線 その7 木曽森林鉄道
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ダイヤモンドスタックをつけたボールドウィンの蒸気機関車には間に合わなかった。しかし山多く水豊かなこの国の至るところに存在した森林鉄道が、ここ上松に唯一現役で残っており、なんとかそれに乗ることができたことは幸運だった。中央西線上松駅のD51が走る線路のすぐそばに、写真でしか見たことがなかった軽便規格の762mm幅の本物の軌道を、そしてその上を走る車輌を見たときの衝撃が忘れられない。
※中央西線沿いには、須原、野尻、三留野、坂下にも森林鉄道があったが昭和40年には全て廃止されていた。

中央西線シリーズは今回の「その7」で終了です。

中央西線 その1 贄川・奈良井・鳥居峠
 2013. 4/15〜8/14
中央西線 その2 鳥居峠・薮原・宮ノ越 2013. 6/1〜9/30
中央西線 その3 須原・十二兼・三留野・坂下 2013. 9/1〜12/31
中央西線 その4 木曽福島 2014. 1/15〜5/14
中央西線 その5 倉本・寝覚ノ床 2014. 3/15〜7/14

中央西線 その6 上松」 2014. 5/15〜9/14

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上松駅 【昭和42年12月】
初めて行ったのは昭和42年の年末、中央西線も木曽森林鉄道も撮るつもりはなかったが国道19号線を通りかかったついでにほんの少しだけ顔を出した。
左側の建物の更に左側が国鉄の上松駅構内になっている。


上松駅 【昭和42年12月】
軽便客車の現役で使われている存在感にシビれた。


上松駅 【昭和42年12月】
森林鉄道は林業関係者とその家族の生活の足でもあった。


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上松駅 【昭和42年12月】


上松駅 【昭和43年9月】
翌年の秋に特に鉄道に興味があるわけでもない友人と顔を出したところ、その友人がどうしても乗ってみたいと言い出した。中央西線のD51を撮りたかったが、事務所で聞いたところ昼頃に客車が山に入るので乗ってもいいとのことだった。林業関係者専用なので、「万一何かあっても一切自己責任・・・」というようなものに署名し拇印を押した記憶がある。
※この画像は「中央西線 その6 上松」の3枚目と同じものです。


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上松駅 【昭和43年9月】
山から降りてきた運材列車、奥の方は土場(どば)と呼ばれた貯木場。クレーンで国鉄の貨車に積み替えていたようだ。


上松駅 【昭和43年9月】
白木同然に使い込んだ年季の入った運材車、朝顔型カプラーも初めて本物を見た。


上松駅 【昭和43年9月】


上松駅 【昭和43年9月】


上松駅 【昭和43年9月】
協三工業製DLが出発準備中。後ろの建物が事務所だったと記憶している。


上松駅 【昭和43年9月】
この年の8月の台風による水害で本来の終点の本谷までは行けず、その手前までしか行けないということで昼頃に上松を出発した


上松駅 【昭和43年9月】
まずは対岸に渡りしばらく木曽川沿いに走り、やがて支流の王滝川沿い進路を変えどんどん山中に分け入って行く。


大鹿 【昭和43年9月】
山間に忽然と驚くほど広いヤードが出てくる。 かつては支線もたくさんあったようで最盛期の活気が偲ばれる。


大鹿 【昭和43年9月】


場所不明 【昭和43年9月】
おばさんの手旗信号は軽便鉄道ならではのもの、さらに左奥の女性は天秤棒!で水を運んでいるようだ。


場所不明 【昭和43年9月】
ここが折り返し点だったかもしれない。


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場所不明 【昭和43年9月】
我々の乗った列車は水害のため三浦ダム(みうれダム:Wiki)までしか行けなかった。


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場所不明 【昭和43年9月】
片道3時間ほどかかった。帰りの車中で日が暮れて、照明がないために車内は真っ暗になった。車内ではしゃべる人もおらず外にも明かりは見えず、1時間以上も真っ暗で何も見えない大きく揺れる車室に機関車のエンジン音とジョイント音だけが響く。そして再び木曽川沿いに出た時に、真っ暗な対岸の高みを西線の木曽福島に向かって登る貨物列車に遭遇した。断続的に焚き口を開けた瞬間の赤い火が機関車が吹き上げる煙に写り鳥肌が立つような幻想的な景観になったことをまざまざと記憶している。友人に背中を押されたとは言え実に貴重な体験となった。

昭和50年5月、惜しまれながらも時代には逆らえず木曽森林鉄道は廃止された。ここだけは、もっともっと撮っておくべきだったと未だに後悔している。

中央西線シリーズは今回の番外とも言うべき「その7」で終了です。

【木曽森林鉄道だけで写真集が楽々一冊出来るほど素晴らしい写真が満載のサイト「津島軽便堂写真館」こちらです。木曽山中の谷々の奥で、林業に携わり暮らしていた人々の息遣いまでが聞こえるようです】


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