「蒸気機関車がいた時代」

中央西線 その2 鳥居峠・薮原・宮ノ越

中山道木曽路の難所「鳥居峠」は中央西線にとっても最大の難所で、貨物列車は殆んどが重連だった。当時の鳥居峠には狭い未舗装の車道があり、奈良井側から暗い樹林の中をこわごわと低速で上ったことを思い出す。一転して峠は明るく松林があり、名前の由来となった鳥居と祠が祀られていた。前山の向こうに御岳の山頂が見え、眼下には薮原駅を挟んで前後がずっと見え素晴らしい景観だった。

・峠には明治43年開通の延長1,673mの鳥居トンネルがあったが、勾配緩和のため早々と昭和44年9月に延長2,157m複線の新鳥居トンネルに切り替えられた。
・この鳥居峠は分水嶺になっており、北は奈良井川から犀川、信濃川となり日本海へ、南は木曽川となり太平洋に注ぐ。

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 鳥居峠 【昭和43年11月】
 峠には祠と鳥居、さらに石碑があった。座禅している僧の姿のようにも見える


 
薮原 【昭和43年11月】 連続写真1/3
鳥居峠から薮原の町を見下ろす。木曽谷に立ちこめていた霧が晴れてきたところに列車がやってきた。薮原駅のホームと跨線橋が見える。


薮原 【昭和43年11月】 連続写真2/3


薮原 【昭和43年11月】 連続写真3/3


 
 薮原 【昭和43年11月】  
薮原駅を発車、鳥居峠はもうすぐだ。


 
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薮原 【昭和43年11月】 連続写真1/3
朝霧の薮原駅。


薮原 【昭和43年11月】 連続写真2/3


薮原 【昭和43年11月】 連続写真3/3


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薮原 【昭和43年11月】
重連の貨物列車が20‰の峠に向けて発車する。


薮原 【昭和43年11月】 連続写真1/5


薮原 【昭和43年11月】 連続写真2/5


薮原 【昭和43年11月】 連続写真3/5


薮原 【昭和43年11月】 連続写真4/5


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薮原 【昭和43年11月】 連続写真5/5
鳥居峠には松林があった。


薮原 【昭和43年11月】
鳥居峠から35mmレンズで見た薮原の町。(列車は写っていません) 手前の立派な道路は国道19号線、当時これほど素晴らしく整備された国道は滅多になかった。
薮原はもちろん旧中山道の宿場町で、奈良井ほどではないが宿場の風情をよく遺していた。最近も年に1、2回車で木曽に遊びに行くが、奈良井は重要伝統的建造物群保存地区に選定されてからあまりにも観光客が増えたので遠慮して、峠の反対側の薮原に顔を出すことにしている。そばの「おぎのや」でお昼を食べ、おみやげに造り酒屋湯川酒造の純米酒「木曽路」を手に入れることにしている。旧宿場内にはお六櫛のお店も残り、薮原は大好きなところになっている。

※標高:名古屋駅(8m)→中津川駅(299m)→木曽福島駅(775m)→薮原駅(924m)→鳥居トンネル(1008m)→奈良井駅(934m)


薮原駅 【昭和44年12月】
機関車は全て集煙装置付きのD51。


薮原駅 【昭和44年12月】
重連の貨物列車がすごい勢いで通過し峠に向かう。


薮原-宮ノ越 【昭和43年11月】
暖かい秋の日、延々と続く20‰の勾配を重連の貨物列車が峠に向かう。


薮原-宮ノ越 【昭和43年11月】


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薮原-宮ノ越 【昭和43年11月】
客車列車が多いのが中央西線の魅力の一つだった。


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原野駅 【昭和44年12月】
木曽福島からやってきた重連の貨物列車が原野駅通過鳥居峠まで延々と上り勾配が続く。


中央西線は5回程度に分けて掲載します。(今回は2回目)


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