「蒸気機関車がいた時代」

吉松機関区

当時の吉松は穏やかな山里でありながら、鉄道の町という印象が強かった
ここで見られた機関車は多彩で、吉松以南の肥薩線、吉都線用のC55、山野線用のC56、肥薩線人吉までの矢岳越え用の重装備D51、吉都線用の原型に近いD51などがおり、中規模ながら一日中煙が絶えることがなく大好きな機関区だった。

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C55 2 【昭和40年7月28日】
初訪問は昭和40年の夏の夕方。昼間大畑で撮り、16:43発の宮崎行き準急「第2えびの」で17:21吉松着。


【昭和40年7月28日】
木製の看板。吉松は海沿いのルートが開通するまでは旧鹿児島本線の要衝だった。


C55 8 【昭和40年7月28日】


C55 2 【昭和40年7月28日】


C55 2 【昭和40年7月28日】


C55 2 【昭和40年7月28日】
砲金製浮彫りの区名札は鹿児島鉄道管理局を主体に、熊本局、宮崎局の一部機関区でも使われていた。


C56 92 【昭和40年7月28日】


C56 92 【昭和40年7月28日
この時期の吉松の日没は19時20分頃。


C56 92 【昭和40年7月28日
夏の夕方、やっと暑さもおさまってきた。


左からC55 3・C55 39・C55 2 【昭和40年8月5日】


C55 39 【昭和40年8月5日】


D51 18 【昭和44年12月30日】
4年後の年末に2回目の訪問。


D51 18 【昭和44年12月30日
吉都線を走るD51.。石炭を高々と盛り上げ次の仕業に備える。


D51 18 【昭和44年12月30日


 
D51 18・D51 1151 【昭和44年12月30日  
右のD51 1151は人吉区所属の矢岳越え専用機。


 
D51 18 【昭和44年12月30日


C56 91 【昭和44年12月30日


C56 91 【昭和44年12月30日


C56 91 【昭和44年12月30日


C55 34 【昭和44年12月30日


C55 34 【昭和44年12月30日


C55 34 【昭和44年12月30日


C55 34 【昭和44年12月30日  


 
 
C55 34 【昭和44年12月30日  


 
 
C55 34とD51 1151 【昭和44年12月30日  


 
 
C55 34・D51 1151 【昭和44年12月30日  


 
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【昭和46年11月4日】  
昭和46年秋、夜行の1121列車で訪れた最後の吉松の朝は見事な快晴となった。

【「吉松機関区」は今回のみです】
 
   
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