「蒸気機関車がいた時代」

函館本線 山のD51 その1 長万部-比羅夫

 函館本線は函館-長万部間ではD52が主役、そして長万部-小樽間ではC62重連が主役というように、最も多く走っていたD51はいつも脇役だった。特に「山線」とも呼ばれていた長万部-小樽間では、いくつもの峠を圧倒的な迫力で駆け抜けるC62重連の急行「ていね」の陰に隠れて、どうしても目立たない存在だった。しかし沿線の生活、風景と一体になった本当の主役は、明らかにD51だと感じていた。

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長万部機関区 D51 114 【昭和42年3月8日】


 
 
長万部機関区 D51 【昭和44年2月22日】  


 
 
二股-蕨岱 D51 【昭和42年2月19日】  
 前日の深夜便で津軽海峡を渡り、函館5:00発の101D「ライラック」で倶知安8:17着(機関区撮影)10:57発41列車で小沢11:12着(106列車撮影)12:22発122列車で二股14:51着この写真は晴天だが、このあとの105列車は日が陰り残念な結果となった.その後二股16:56発の123列車で倶知安18:59着YH泊.


 
 
二股-蕨岱 D51 27 【昭和44年2月16日】  
 この時も前日の深夜便で津軽海峡を渡り、5:05発101D「ニセコ1号」(無粋にも43年10月改正で「ライラック」から名称変更)で森5:50着6:36始発41列車で長万部8:15着(構内で撮影)10:33発121列車で二股10:43着(3時間ほど撮影、この貨物列車とC62重連の104列車もすぐ近くの二股川橋梁で撮る)


 
 
二股-蕨岱 【昭和44年2月16日】  
二股14:21発137列車で倶知安16:19着、103列車増感撮影しYH泊.


 
 
蕨岱駅  【昭和43年2月20日】  
長万部-黒松内を往復する区間運転気動車があった.


 
黒松内駅 【昭和43年2月19日】


黒松内駅 D51 219 【昭和42年2月19日】  
小沢で106列車を撮影後12:22発122列車で二股へ向かう途中、黒松内で137列車と交換.


 
黒松内駅 D51 367 【昭和42年3月1日】  
3列車交換の黒松内駅、122列車が発車していく.遠くには発車していく下り列車と追い抜かれた停車中の貨物列車が見える.


 
黒松内駅 D51 419 【昭和42年3月1日】  
122列車に抜かれた上り貨物列車が出ていく.


 
黒松内駅 D51 419 【昭和42年3月1日】  


 
 上目名駅 【昭和41年3月19日】  
 前日は一日中狩勝峠で撮影、17:40発435Dで新得18:12着、18:13発急行「狩勝」で札幌22:20着.22:45発急行「たるまえ」に乗り換え大沼にこの日の朝5:23着、6:42発640Dで仁山6:50着(雪がひどく2時間半ほどで切り上げ)、9:35発の128列車で函館10:10着、11:25発103D「宗谷」に乗ったが道南道央は大荒れのようで大幅遅延し上目名で臨時停車した.


 
 上目名駅 【昭和41年3月19日】
増結分?の2輌を減車しているように見える.定時なら札幌16時半頃着だがかなり遅れたと思われる.丸山公園のYH泊.


 
上目名-蘭越 【昭和41年3月24日】  
しんしんと雪が降る中をD51が牽く列車が現れた。


 
上目名駅 D51 【昭和41年3月24日】
雪降る夕暮れの上目名駅に函館発の123列車が進入、熱郛からの通票を投げ入れる寸前.
次の目名までの通票を持っている駅員さんの帽子も、あっという間に白くなった



 
上目名駅 【昭和42年2月19日】  
小沢から乗った122列車で二股へ向かう途中、下り急行「宗谷」と交換.


 
上目名-目名 D51 【昭和43年3月3日】  


 
熱郛-上目名 D51 【昭和46年3月23日】  
この日は長万部10:28発の121列車の車窓から撮りながら倶知安に向かう.


 
熱郛-上目名 D51 【昭和46年3月23日】  


 
熱郛-上目名 D51 【昭和46年3月23日】  


 
 
熱郛-上目名 D51 【昭和46年3月23日】  


 
 
熱郛-上目名 D51 【昭和46年3月23日】  
上目名駅手前のスノーセット、121列車の最後尾から.


 
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上目名駅 D51 【昭和46年3月23日】  
上目名停車中.


 
 
目名-上目名 D51 64 【昭和46年3月19日】  


 
 
目名-上目名 D51 64 【昭和46年3月19日】  


 
 
蘭越駅 【昭和41年3月30日】  
 この日は朝から雪の倶知安駅構内で撮影着後、9:54発124列車で蘭越10:36着.上り「ていね」を撮り13:29発122列車で下り「ていね」を撮るために二股に向かったが、室蘭本線が不通となり下り特急「おおとり」が迂回でやってきた.こちらの上り普通122列車は変則的に木製ステップを置いて乗降している.


 
 
目名駅 【昭和41年3月30日】  
 蘭越の次の目名駅では3列車交換になった。左は函館行き普通122列車、真ん中の通票受け渡し中の列車は先ほどの下り「おおとり」と昆布で交換したと思われる迂回の上り特急「北斗」、その向こうは下り急行稚内行き「宗谷」.


 
 
目名駅 【昭和41年3月30日】  
 迂回の特急「北斗」が発車.千歳線・室蘭本線経由の特急を、山越えの多い函館本線に迂回させるだけで相当な遅れは確実.上りの特急を遅らせると、短時間で接続する青函連絡船東北本線の上野行き優等列車と遅れが連鎖し長時間にわたり広範囲に影響が出るのでとにかく最優先で送り出すしかない.


 
 
目名駅 【昭和41年3月30日】  
 2枚前の写真と同じ配置。左は函館行き普通122列車、真ん中は発車したばかりの迂回の上り特急「北斗」、右は下り急行稚内行き「宗谷」。この「宗谷」の函館発は3枚前の迂回特急「おおとり」の10分あとの11:25、ちなみに稚内到着は定時で23:08。この日はダイヤが大きく乱れた。


 
 
目名駅 【昭和46年3月19日】  
目名-上目名間で106列車を撮り、この122列車で長万部に行き、105列車の発車を撮った


 
 
狩太-比羅夫 【昭和42年2月20日】  
124列車が狩太に接近中


 
 
狩太-比羅夫 【昭和42年2月20日】  
41列車が比羅夫に向かう


 
 
狩太-比羅夫 【昭和42年2月20日】  


 
 
狩太-比羅夫 【昭和42年2月20日】  


 
 
狩太-比羅夫 【昭和42年2月20日】  
羊蹄山(標高1898m)と反対側にあるニセコ連峰の主峰ニセコアンヌプリ(標高1308m).


 
 
狩太-比羅夫 【昭和42年2月20日】  
121列車が往く.


 
 
狩太駅 【昭和42年2月20日】  
この13:07発の122列車で長万部に向かう.


 
 
比羅夫駅 【昭和42年3月2日】  
この日は倶知安9:58発の124列車で比羅夫10:08着.10:26発の41列車が停車中.


 
 
比羅夫駅 【昭和42年3月2日】  


 
比羅夫駅 【昭和42年3月2日】  


 
 
比羅夫駅 【昭和42年3月2日】  
わずか1時間後の11:01発区間気動車列車143Dで倶知安に戻る.この列車がトラブルを起こしたらしく、救援した9600に牽かれて来た.


 
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比羅夫駅 【昭和42年3月2日】  


 
【「その2」に続きます】

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