「蒸気機関車がいた時代」

夏・広島 宇品線/呉線


昭和39年8月、真夏の朝の広島駅では東京発のブルートレインが続々到着し、EF60からC62形蒸気機関車に換えられ次々と九州を目指して発車していった。残念ながら山陽本線はすべて架線の下だったので機関区での撮影に切り換え、さらに翌日は宇品線の乗りつぶしとその後何回も行くことになった呉線を初めて訪ねることにした。


宇品線 宇品駅 【昭和39年8月】
一言では表せない歴史を持つ宇品線(Wiki)だが、当時は東洋工業(現マツダ)の工場の通勤の足という性格があり、日中はガラガラで本数も少なかった。時刻表を見ると朝夕中心に平日は16往復もあり、そのうち朝夕の4往復がD51が牽く客車列車だった。


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宇品線 宇品駅 D51 【昭和39年8月】
D51がバック運転で広島から回送されてきた。朝の通勤列車の客車を宇品に留置し広島の機関区に戻っていたD51が、夕方の仕業のために戻ってきた。


宇品線 宇品駅 D51 【昭和39年8月】


宇品線 宇品駅 D51 【昭和39年8月】
暑い暑い夏の午後、留置してあった客車にD51を連結して出発準備完了。午後まだ早い時間なので広島行きの5両の客車は終点までずっとガラガラだった。


宇品線 宇品駅 【昭和39年8月】
すでに珍しい存在だったキハ04、ホームで荷物を運ぶリアカーがよく似合う。


宇品線 丹那駅 【昭和39年8月】
途中駅でのすれちがい。


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宇品線 大洲口−南段原 大洲口橋梁 【昭和39年8月】


広島には8/2、3の2日間いましたが、8/6の慰霊日の直前でもあり平和記念公園のあたりではたくさんの人たちを見かけました。
原爆投下からまだ20年足らずでもあり、原爆の惨禍がもっともっと身近だったような気がします。


呉線 呉駅 下り準急「ななうら」 C59 【昭和39年8月】
京都23:05発広島行きの夜行列車、準急「ななうら」が朝の呉駅に到着。背景の休山の形がよく、このアングルでその後何回も撮ることになった。
山陽本線のC62,C59は全て架線の下ということで結局間に合わなかったわけだが、呉線にはこれ以降何回も行くことになった。
本線ほどの活気はなくても沿線風景が変化に富み、きれいな大型機関車が気持ちよさそうに走る様がとても好きだった。


呉線 呉駅 下り準急「ななうら」 C59 【昭和39年8月】
端正としか言いようのないスタイルのC59形蒸気機関車、安全弁を吹き上げ気合十分。


呉線 呉駅 下り準急「ななうら」 C59 【昭和39年8月】


呉線 小屋浦 下り普通列車 C59 【昭和39年8月】
朝は広島への長い編成の通勤通学列車が15〜20分間隔で5本も走っている。
並行する国道31号線が追越可なのは、まだ車がかなり少なかったからなのか。


呉線 小屋浦 下り普通列車 C59 【昭和39年8月】
今日も暑くなりそうだ。


呉線 安芸川尻 上り普通列車 C62 【昭和41年7月】
昭和41年7月にも半日だけ呉線に顔を出した。


呉線 安芸川尻 上り普通列車 C62 【昭和41年7月】


呉線 安芸川尻駅 上り普通列車 C59 【昭和41年7月】
廃枕木を転用した柵が懐かしい。


呉線 安登 下り急行「安芸」 C62 【昭和41年7月】
東京を前夜20:30に出た急行「安芸」は暑い盛りの昼過ぎに安登駅にさしかかる。糸崎で3両切り離してもなお11両の客車が、制限速度ぎりぎりで車列をくねらせながら分岐を通過し本線に戻る様は、小気味よい走行音とともに迫力いっぱい、終着広島まであと1時間。


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呉線 安登 下り急行「安芸」 C62 【昭和41年7月】
夏はこの2回限りの撮影だったが、殆んど無改造で手入れもよいC59・C62という機関車と、市街地の中、海辺のみち、山もありという変化のある沿線風景が気に入って、その後呉線に何回も行くことになった。


《 呉線の他の季節の写真は、別の機会に何回かに分け掲載します 》
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