「蒸気機関車がいた時代」

釧網線 止別・斜里・清里町

初めて斜里岳を見たときの驚きを忘れられない。独立峰でこのような山頂が尖った、まるでシンボルマークのような山を初めて快晴の清里町で見た時には、列車の背景として是非撮りたいと思った。しかし順光で撮ろうとすると午後から夕方がよく、この山もご多分にもれず朝のうちはよく晴れていても気温が上がると山頂が雲で隠れてしまうことが多く、何回も撮り直しをした思い出がある。

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斜里-止別 【昭和42年2月】
昼過ぎの列車が網走に向かう。釧網線は混合列車が多かった。


斜里-止別 【昭和42年2月】


止別-斜里 【昭和42年2月】
隣の止別で交換した釧路行き混合列車がやってきた。汽笛吹鳴!


止別-斜里 【昭和42年2月】
1時間ほど前まで見えていた斜里岳の山頂は雲に隠れてしまった。これが初めて斜里岳を背景にした写真。


止別-斜里 【昭和42年2月】


根北線 越川駅 【昭和42年2月】
この時期までは「乗りつぶし」にも関心があり、廃線の噂があった根北線Wikiに乗り越川を往復した。


根北線 越川駅 【昭和42年2月】


根北線 越川駅 【昭和42年2月】


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根北線 越川駅 【昭和42年2月】


根北線 越川駅 【昭和42年2月】


止別駅 【昭和47年3月】
釧路行き625列車が交換待ちで止別(Wiki)に停車中。前夜からの猛吹雪でこの有様。


止別駅 【昭和47年3月】
昭和47年3月7日、北浜で流氷と列車を撮り北浜YHに泊った。夜になってから強い低気圧が道東地方に接近、部屋の二重窓を通しても風が唸りを上げているのが聞こえてきた。翌朝も歩くこともままならないほどの猛烈な吹雪が収まらず、遅れてきた625列車に乗ったが、止別で交換のはずの626列車は大きく遅れ一時運転停止となる大荒れの朝となった。当時、冬の北海道に7年間で140日ほど滞在したが、これほどの猛吹雪はこの時以外になく貴重な経験となった。


止別駅 【昭和47年3月】
このホーム上の待合室は強風でガラス窓が吹き飛んでしまったようだ。


止別駅 【昭和47年3月】


止別駅 【昭和47年3月】


止別駅 【昭和47年3月】
大きく遅れて626列車がやってきた。


止別駅 【昭和47年3月】


止別駅 【昭和47年3月】


止別駅 【昭和47年3月】
当時、道内の天気予報で「電線着雪注意報」という言葉をよく聞いたが、こうなるのは湿った雪のためなのだろうか。


止別駅 【昭和47年3月】


止別駅 【昭和47年3月】


止別駅 【昭和47年3月】
網走行き626列車。


止別駅 【昭和47年3月】  


 
 
止別駅 【昭和47年3月】  


 
 
斜里駅 【昭和47年3月】  


 
 
斜里駅 【昭和47年3月】  


 
 
斜里駅 【昭和47年3月】  


 
 
斜里駅 【昭和47年3月】  


 
 
清里町-札弦 【昭和42年2月】 連続写真1/5  


 
 
清里町-札弦 【昭和42年2月】 連続写真2/5  
いまいち雲が多く残念。


 
 
清里町-札弦 【昭和42年2月】 連続写真3/5  


 
 
清里町-札弦 【昭和42年2月】 連続写真4/5  
回送と思われる後補機がついていた。このまま峠を越えて川湯まで行くのだろうか。緑からの峠越えは見た範囲では全てが重連だったので、ここまでの鉄橋の重量制限が関係しているのかも知れない。


 
 
清里町-札弦 【昭和42年2月】 連続写真5/5  


 
 
清里町駅 【昭和44年2月】
混合列車が停車中。


 
 
清里町-札弦 【昭和44年2月】  


 
 
清里町-札弦 【昭和44年2月】  
3回目でやっと山頂が見えた。


 
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 清里町-札弦 【昭和44年2月】  
道東の網走と釧路を結ぶ釧網線は北海道の中でも個性的な路線だった。細岡、塘路などの釧路湿原、補機運用がある人煙稀な原生林に埋もれたような川湯-緑の峠道、斜里岳が素晴らしい清里町、流氷の北浜、浜小清水。どこをとっても国内はもちろん道内でも指折りの撮影地で内地の人間にとって憧れの地であった。

【「釧網線」は今回で終了です】  

釧網線 川湯-緑」 2011.10/1〜1/31
釧網線 網走・北浜・浜小清水」 2012. 11/1〜2/28
釧網線 塘路・細岡」 2016. 5/15〜9/14


 
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