「蒸気機関車がいた時代」

宗谷路のC55 その2 音威子府-稚内 昭和44年45年 

 宗谷路の魅力は音威子府から北にあった。サロベツ原野、利尻富士などの見事な景観だけではなく、特に惹きつけられたのはC55の
美しさを最大限に演出してくれる自然の厳しさだったような気がする.

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南稚内-抜海 322列車 C55 【昭和44年2月24日】
稚内の町はずれ、小樽まで12時間の旅は始まったばかり.


南稚内駅 急行「利尻」 C55 1 【昭和44年2月24日】
この朝の下り「利尻」は3時間近く遅れていた.やっと「利尻」到着の案内があり外へ出ると、しばらくしてゴロゴロゴロと凍りついた足回りから音を立てて進入して
きたのはC55の1番、苦闘の跡をしのばせる大きな動輪が強烈な印象を残した.



南稚内駅 急行「利尻」 C55 1 【昭和44年2月24日】
このところ季節風の強い日が続き、毎日のように吹き溜まりが原因の遅延が発生していると駅で聞いた.


南稚内駅 急行「利尻」 C55 1 【昭和44年2月24日】


南稚内駅 急行「利尻」 C55 1 【昭和44年2月24日】
石炭もかなり減ってきた.あと一駅、次は終着稚内だ.


稚内機関区 C55 1 【昭和44年2月24日】
大きく遅れた下り「利尻」牽引機C55の1番を撮るために稚内機関区に行った.


稚内機関区 C55 1 【昭和44年2月24日】
外は冷たい小雪まじりの風が吹きつけていたが、各線の扉を閉めているので扇形庫の中は暗く、天井の明かりで機関車から漏れる蒸気が浮かび上がり幻想的な雰囲気と
なり忘れがたい印象が残っている.


稚内機関区 C55 1 【昭和44年2月24日】


幌延駅 321列車 C55 16 【昭和44年2月24日】
321レを待っていたこの時は気温はせいぜい氷点下15℃位だと思うがとにかく風が強く耐えがたい寒さだった.定時では17:07着なのでなんとか手持ちで撮れるつもり
だったが、風の強い日だったので地吹雪による吹き溜まりの影響か1時間ほど遅れるとのこと.真っ暗になってしまうのでフィルムを増感現像用にして給水スポート
付近で震えながら待っていると、遠くに前照灯の明かりが見えた.やがて構内に入り減光した1時間遅れの321レがゆっくりと近づき最後はギギーと制動の音が響いて
停止、C55はここまでの厳しい格闘の証として足回りを見事に凍らせていた.



幌延駅 321列車 C55 16 【昭和44年2月24日】
肌を刺す冷たい風が吹きすさぶ中を、給水、火床整理、石炭のかき寄せ作業が続く.


幌延駅 321列車 C55 16 【昭和44年2月24日】


幌延駅 321列車 C55 16 【昭和44年2月24日】
稚内まであと1時間40分ほど.


音威子府駅 C55 1 【昭和45年2月】


音威子府駅 C55 1 【昭和45年2月】


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音威子府駅 322列車 C55 1 【昭和45年2月】  


 
 
音威子府駅 C55 47 【昭和45年2月】  


 
 
音威子府駅 C55 47 【昭和45年2月】  


 
 
音威子府駅 C55 47 【昭和45年2月】  


 
 
音威子府駅 C55 47 【昭和45年2月】  


 
 
音威子府駅 上り急行「利尻」 C55 49 【昭和45年2月】  
深夜の音威子府、火床整理で落とされた石炭ガラがモノクロの世界に赤く輝く.


 
 
音威子府駅 上り急行「利尻」 C55 49 【昭和45年2月】  
23:38発、旭川まで深夜の宗谷路を上る.


 
 
音威子府駅 322列車 C55 47 【昭和45年2月】  


 
 
音威子府駅 322列車 C55 47 【昭和45年2月】  


 
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音威子府駅 321列車 C55 50 【昭和45年2月27日】  
よく晴れた新雪の音威子府に321列車が到着.ここで40分余り停車する.


 
宗谷路のC55 その1 旭川・塩狩峠・名寄」2019.2/15~6/14  
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