「蒸気機関車がいた時代」

宗谷路のC55 その1 旭川塩狩峠名寄 

 サロベツ原野、利尻富士・・・北海道らしい景観とともに最北の稚内に至る宗谷本線は道内でもひときわ旅情をさそう路線だったが、改めて当時を思い出してみるとC55の美しさを最大限に演出してくれる冬の厳しい自然に最も惹きつけられていたような気がする。
 当時C55は夜行急行「利尻」と普通列車321レ、322レを牽いており、撮影対象は1日2往復だが冬場は日が短く音威子府-稚内間で安心して明るい時刻に撮れる列車は322レのみ、321レは3月で豊富あたりまでならなんとかなる程度でどうしても夜間の撮影が多くなった。


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旭川駅 下り317列車「利尻」 C55 50 【昭和45年2月23日】
札幌21:20発の下り急行「利尻」は23:38に旭川に到着する。


旭川駅 下り317列車「利尻」 C55 50 【昭和45年2月23日】
小雪舞う中を走ってきたようだ。


旭川駅 下り317列車「利尻」 C55 50 【昭和45年2月23日】
この頃は鉄道輸送量の増強が期待されている時代で、道内の各線でも急行・特急が増発されていた。宗谷本線も気動車急行の「利尻1号」が増発され、この歴史ある客車急行は「利尻2号」となっていた。


旭川駅 下り317列車「利尻」 C55 50 【昭和45年2月23日】
旭川では21分停車。車内は暖房がよく効いているようだ。


旭川駅 下り317列車「利尻」 C55 50 【昭和45年2月23日】
石炭を高々と盛り上げたC55 50号機が連結された。旭川発は23:59、いよいよ宗谷本線に入る。稚内には明朝6:36到着予定。


名寄駅 左は321列車 右は322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】
この322列車に乗って車窓から塩狩峠を越える姿を撮るつもり。


塩狩峠に向かう322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】


塩狩峠に向かう322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】


塩狩峠に向かう322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】


塩狩峠に向かう322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】


塩狩峠に向かう322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】


塩狩峠を越えた322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】


蘭留駅に接近する322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】
急行停車駅以外の宗谷本線各駅の鉄道郵便・荷物は各駅停車の321と322列車が扱っていた。
結局、塩狩峠はこの車窓からの撮影だけとなった。


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名寄駅 322列車 C55 50 【昭和46年3月18日】


名寄駅 321列車 C55 50 【昭和47年3月11日】  
この列車に乗り、撮影しながら北へ向かった。


【「その2」は音威子府です】
 
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