「蒸気機関車がいた時代」

夏・筑豊界隈

昭和40年代の筑豊には網の目のように線路が敷かれていた。既に炭鉱の閉山が相次いでいたがまだ筑豊が最後の光彩を放っていた時期であり、蒸気機関車が牽く客車列車があった路線だけでも、筑豊線だけでなく室木線、香月線、伊田線、田川線、上山田線、添田線、日田彦山線があった。私の頭の中の筑豊には、若松-飯塚までの筑豊線、後藤寺線、伊田線、田川線を通り行橋までが入っている。直方、飯塚を中心に見れば石炭列車、ボタ山がすぐ目に浮かぶが、田川の中心である後藤寺、伊田を中心に考えれば石炭と石灰が両雄であり香春岳という全山石灰岩の山もある。田川線、日豊本線の貨物支線を通り苅田(かんだ)港へは石炭と石灰の両方を運ぶ列車がたくさんあった。日田彦山線では、中央部分の添田から平尾台の石灰搬出の石原町まであたりが域内だろうか。
筑豊の「筑」は筑前国の「筑」、「豊」は豊前国の「豊」であることを思い出せば、この筑豊の領域は外れていないかもしれない。


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室木線 室木駅 【昭和40年7月】
室木線には気動車列車はなく、8620が牽く客車列車が7往復走っていた。


室木線 室木駅 8620 【昭和40年7月】
終点室木駅のホームは1本のみ、バック運転で到着した8620が機回り線を通り正面向きに連結すると間もなく発車時刻になる。 鞍手を含め沿線の炭鉱は既に閉山されていた。


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香月線 香月駅 8620 【昭和40年8月】
室木、香月ともに行き止まりでよく似た雰囲気だった。既に香月にあった炭鉱は閉山されていたが列車は10往復あり、内5往復が8620が牽く客車列車だった。


伊田線 伊田駅 9600 【昭和42年7月】
機関車の向こうに香春岳が見える。


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香春岳 【昭和40年8月】
これが全山石灰岩の香春岳。その後半世紀経っているので今では全く形が変わっている(Wiki)。


伊田線 伊田-上伊田 9600 【昭和40年8月】
単機回送の9600が来た。


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伊田線 伊田-上伊田 9600 【昭和40年8月】


伊田線 伊田-上伊田 9600 C11 【昭和40年8月】
左の石炭列車はもちろん停車中。


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伊田線 伊田-上伊田 9600 【昭和40年8月】
デフレクターのない9600は筑豊によく似合う。


伊田線 伊田-上伊田 C11 【昭和40年8月】
伊田線、田川線、日田彦山線の旅客列車は全てC11が牽いていた。


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伊田線 伊田-上伊田 C11 【昭和40年8月】
夕方になっても暑く、煙の汚れは気にしない。 ダブルルーフの客車はオハ31だろうか。


伊田線 伊田-上伊田 C11 【昭和40年8月】


田川線 油須原 9600 【昭和42年7月】


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田川線 油須原駅 C11 【昭和42年7月】
行橋発の田川線の客車列車は、伊田からそのまま伊田線を通りで直方まで乗り入れる列車が多かった。


田川線 油須原駅 9600 【昭和42年7月】
これは石炭を運ぶ列車。苅田港行きか。


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田川線 油須原駅 C11 【昭和42年7月】


行橋機関区 【昭和40年8月】


行橋機関区 9600 【昭和40年8月】
行橋区には田川線用の9600がごろごろ。


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行橋機関区 9600 【昭和40年8月】


行橋機関区 C50 【昭和40年8月】
もともと数が少ないが、こんなにきれいなC50を見たのは初めてだった。


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行橋機関区 C50 【昭和40年8月】
この当時は入換え用で活躍していたようだ。


行橋機関区 C50 【昭和40年8月】


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行橋機関区 C50 【昭和40年8月】


行橋機関区 C50 【昭和40年8月】


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行橋機関区 C11 【昭和40年8月】


行橋機関区 9600 【昭和40年8月】


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行橋機関区 9600 C11 【昭和40年8月】


行橋機関区 9600 【昭和40年8月】


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行橋機関区 9600 【昭和40年8月】


後藤寺 9600 【昭和43年7月】
「駅不明」としていましたが、北九州市のSさんから「後藤寺駅の伊田寄りの橋から糸田線の列車を見送っているシーンに間違いない」ということで最近の写真をいただきました。ありがとうございました。


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後藤寺 9600 【昭和43年7月】
背景はボタ山だが、列車は石灰用と石炭用の両方。


伊田線 伊田-上伊田 9600+・・・+9600 【昭和42年7月】 連続写真1/3


伊田線 伊田-上伊田 9600+・・・+9600 【昭和42年7月】 連続写真2/3


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伊田線 伊田-上伊田 9600+・・・+9600 【昭和42年7月】  連続写真3/3
殆んど石灰を運んでいるようだ。


伊田線 伊田駅 9600 【昭和42年7月】
「青春の門」のイメージがあるせいかもしれないが、伊田駅は筑豊の雰囲気を強く感じさせる駅だった。駅前の写真を撮っておけばよかった。


伊田線 伊田駅 9600 【昭和42年7月】


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日田彦山線 後藤寺駅 9600 【昭和43年7月】
「伊田線 伊田駅」としていましたが、北九州市のSさんから「伊田駅でなく、後藤寺駅の伊田寄りの橋から後藤寺駅構内を見下ろしているシーンに間違いない」というご指摘があり、最近の写真をいただきました。ありがとうございました。訂正させていただきました。

伊田、後藤寺から成る筑豊の首邑田川市(Wiki)からヤマの灯が消えたのは昭和45年のことだった。



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