「蒸気機関車がいた時代」

信越本線 関山


妙高山が日本海沿いの直江津に向かって長い裾野を引いている途中に、2駅続いてスイッチバックWikiの線路配置をもつ関山駅Wiki、二本木駅があった。スイッチバック駅は急勾配区間にありシャッターチャンスも多いので特に行きたくなる場所であり、昭和40年6月梅雨入り前の関山を訪れた。


戻る
豊野駅 下り普通列車 【昭和40年6月】
夜行列車で長野に着き、関山に向かう前に飯山線に顔を出した。これは長野から豊野まで乗った下り列車。長野機関区所属機は独特のおしゃれな白線をつけていた。


牟礼駅 上り普通列車 【昭和40年6月】
飯山線で朝から数時間撮影し、豊野に戻り再び信越本線下り列車で関山に向かった。これは牟礼での対向列車。駅の並びは、豊野、牟礼、古間、柏原(現黒姫)、田口(現妙高高原)、関山、二本木、新井の順で、下り列車は豊野からサミットの柏原までは19kmほど1000分の25が続き、上り列車は新井から柏原まで28kmも1000分の25が続く。


戻る
田口駅 上り急行「赤倉」 【昭和40年6月】
当時は日本中でよく見かけたキハ58の急行列車、なじみもありよく乗ったこともあり好きな形式だった。


関山駅 【昭和40年6月】
昼過ぎに関山に着いた。D51重連の上り貨物列車が発車する。スイッチバック駅なので分岐器と腕木式信号機の操作が多く、信号てこ扱い所の建屋(画面右の2階屋)も大きい切替操作はてこ利用の人力で行うが、分岐器はリンク構造で、腕木式信号機はワイヤーで切替えられる。全体重をかけて「ガシャーン」と切り替えるこの操作がとても格好いい。建屋の下から出たリンクが線路の下を横断し、90度向きを変え画面左寄り下の専用側溝を手前と奥に伸びている。


関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真1/5
D51重連の貨物列車が1000分の25の急勾配を上がってくる。


関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真2/5
直江津側の新井駅からサミットの柏原まで28kmに及ぶ1000分の25の急勾配が続く。


関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真3/5


関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真4/5  
D51はどちらも長野区所属の集煙装置つき。


 
関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真5/5


関山-二本木 【昭和40年6月】
上野発大阪行き特急「白鳥」が下り急勾配をかけ去っていく。この列車は直江津で、早朝青函連絡船からのたくさんの客を青森で受け取った日本海縦貫ロングランの本家「白鳥」に併結され大阪へ向かう。


関山-二本木 【昭和40年6月】
貨物だが重連ではない、田口で補機を切り離してきたのか。


 
関山駅 【昭和40年6月】 連続写真1/3
背後に残雪の山並みが見える。腕木式信号機がまるで燭台に乗っているようだ。


関山駅 【昭和40年6月】 連続写真2/3


関山駅 【昭和40年6月】 連続写真3/3
このD51は長野区所属機だが集煙装置がない。


 
 
関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真1/3
上りの金沢発上野行き急行「白山」が堂々11両の編成でやってきた。1等車2両は歴史のある列車のみの仕様だ。前補機は直江津機関区所属で、本務機の長野区所属機のような白線、集煙装置がついていない。気温も高く燃焼もよく急勾配にもかかわらず殆んど煙が出ていない。


関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真2/3


関山-二本木 【昭和40年6月】 連続写真3/3
延々と続く1000分の25の急勾配の途中だが、妙高山の裾野なので開けた景観だ。日本の鉄道の峠は殆んどが山の中という印象の場所が多いが、ここは旧東海道線の御殿場越えに近い、急勾配が続くが明るい景観の山越えだ。


関山-二本木 【昭和40年6月】
田植えからやっと1ヶ月くらいだろうか。


関山-二本木 【昭和40年6月】
重連の貨物列車が下って来た。


 
 
関山駅 【昭和40年6月】
先ほどの上り「白山」と牟礼駅ですれちがった下りの急行「白山」が急勾配の本線を轟音とともに通過していく。これも前補機は直江津区所属機だが美しからぬ火の粉止めをつけている。
写真右下へのカーブは関山駅ホームへつながる引込み線。


関山駅 【昭和40年6月】


関山-二本木 【昭和40年6月】


関山-二本木 【昭和40年6月】
大阪発上野行き上り特急「白鳥


関山-二本木 【昭和40年6月】
屋根から排気を上げながらの力行(りきこう)、エンジンのうなり音が聞こえてきそう。


関山-二本木 【昭和40年6月】
気温が上がった初夏の午後、煙の汚れも気にせずに窓を開けよう。


 
関山駅 【昭和40年6月】
17時頃の3列車交換。右側が長野発新潟行き313列車、左側は直江津発長野行き336列車、本線通過中の気動車は名古屋発新潟行き急行「赤倉」。
駅前には旅館の看板が並んでついている大きい建屋がある。「樺太館」「中村屋」「岡本屋」「花屋旅館」と読める。関温泉、燕温泉の旅館の案内所になっているらしい。


関山駅 【昭和40年6月】
真ん中の太い排雪溝が冬の豪雪を想像させる。雪の季節にもう1回行きたかったが叶わなかった。



◆ここから下の4枚は昭和37年10月、キャノネットで小諸周辺で撮ったものです。
小諸-上田 【昭和37年10月】
このあたりは部分的に複線だったようで、窓から乗り出してすれちがいの列車をパチリ。


小諸駅 【昭和37年10月】


小諸駅 【昭和37年10月】
このD51は長野機関区の白線仕様だが、集煙装置がついていない。左奥の気動車は小海線の車両。


戻る
小諸駅 【昭和37年10月】
手前のホームに入ってくる急行上野行きの追い抜きのために、分岐をいくつも渡り待避するD51の後ろが懐古園の森。


【「信越本線」は今回のみで終りです】
inserted by FC2 system