「蒸気機関車がいた時代」 山陽路のD52 広島機関区・小郡機関区 |
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昭和39年8月に初めて訪れた瀬戸内海沿い山陽本線はブルートレイン以下の蒸機牽引の列車が複線区間を頻繁に往復していたが、既に下関電化を前にして全て架線の下という状況で走行写真はあきらめて広島機関区で撮ることにする。狭い機関区内にたくさんのD52が肩をすぼめるように出区待ちしている光景は迫力十分で、味を占めて翌年夏に九州への行きがかりにD52の牙城として有名だった小郡機関区にも行くことになった。両機関区とも最盛期は30両以上のD52が配置されており、彼らが所狭しと居並ぶ様はまさに壮観だった。 |
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山陽本線 広島機関区 D52 363 【昭和39年8月3日】 | |
2年前の昭和37年5月に広島第一機関区が広島機関区に、広島第二機関区が客貨車区と統合され広島運転所に組織変更された. |
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山陽本線 広島機関区 D52 71 【昭和39年8月3日】 | |
これは柳井機関区のD52. |
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山陽本線 広島機関区 D52 454 D52 86 【昭和39年8月3日】 | |
狭い機関区に大きなD52がギッシリ並んでいる景観に圧倒された. |
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山陽本線 広島機関区 D52 86 【昭和39年8月3日】 | |
山陽本線 広島機関区 D52 130 D52 454 【昭和39年8月3日】 | |
山陽本線 小郡機関区 【昭和40年7月26日】 | |
翌年夏に小郡機関区を訪問.煤けた砲金製のプレートが旧字体とともに歴史と誇りを感じさせる. 既に山陽本線は全線電化されていたが、貨物は電気機関車の配置が追い付かなかったようでD52が最後の活躍をしていた. |
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山陽本線 小郡機関区 D52 6 【昭和40年7月26日】 | |
夏の暑い日、洗濯物が干してある.少々煤がついても気にしない. |
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山陽本線 小郡機関区 D52 1ほか 【昭和40年7月26日】 | |
小郡区には転車台が2基あった.扇形庫の中心に位置するものと別に入出区用にもあり2基の運転回数は1日200回にも及んだとのこと. この時はゴロゴロいるD52群に舞い上がってしまい2基目の転車台に全く気が付かなかった. |
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山陽本線 小郡機関区 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 D52 109ほか 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 D52 29とD52 6 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 D52 6 【昭和40年7月26日】 | |
ボイラーの直径が大きいので1桁のナンバープレートが小さく見える. |
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山陽本線 小郡機関区 D52 29 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 D52 100 【昭和40年7月26日】 | |
見上げるような大きな給炭塔は幹線の大機関区ならでは. |
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山陽本線 小郡機関区 D52 29 【昭和40年7月26日】 | |
右奥に21番線まであった扇形庫が見える. |
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山陽本線 小郡機関区 D52 1 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 D52 362 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 D52 1 【昭和40年7月26日】 | |
山陽本線 小郡機関区 D52 224とD52 459とD52 1 【昭和40年7月26日】 | |
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山陽本線 小郡機関区 D52 362 【昭和40年7月26日】 | |
本線上で長大編成の貨物列車を牽く姿は撮れなかったが、機関区にゴロゴロいるD52を観ることが出来て十分満足した. |
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【山陽本線の写真は今回のみです】 |