「蒸気機関車がいた時代」 長万部駅 その1 昭和41年・42年 |
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北海道と内地をつなぐ人と物の流れを青函連絡船に頼っていた時代、室蘭本線千歳線経由と俱知安経由で札幌に向かう函館本線が分岐する長万部はまさに交通の要衝だった。 |
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【昭和41年3月24日】 | |
小樽築港から前補機を務めた上り「ていね」の前補機は折り返しの下り「ていね」を待つ間しばしの休息となる. |
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【昭和41年3月24日】 | |
最初の渡道の41年の長万部港内の写真はこの2枚しかなかった. |
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【昭和42年2月20日】 | |
翌42年、これは多分函館本線の下り貨物列車. |
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【昭和42年2月20日】 | |
機関区に引き揚げる105列車「ていね」の本務機の乗務員がなにやら気にしている様子. |
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【昭和42年2月20日】 | |
【昭和42年3月2日】 | |
昭和42年は特に雪が少なかった.前日の3月1日から特急「北海」がデビューした. |
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【昭和42年3月6日】 | |
「105列車せっきーん」の構内放送からしばらくして「ていね」が到着. |
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【昭和42年3月6日】 | |
【昭和42年3月6日】 | |
前補機が連結され緊張が一気に高まる. |
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【昭和42年3月6日】 | |
【昭和42年3月6日】 | |
とにかく活気と緊張があたりを支配している. |
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【昭和42年3月6日】 | |
【昭和42年3月6日】 | |
C62重連が発車! |
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【昭和42年3月6日】 | |
【昭和42年3月8日】 | |
2日後の「ていね」到着シーン.駅員、乗客、駅弁売りの人、そしてこのまま小樽築港まで行く本務機の給水・火床整理などを行う人たちが待ち受けている. |
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【昭和42年3月8日】 | |
【昭和42年3月8日】 | |
【昭和42年3月8日】 | |
炭水車の石炭かき寄せも必須の仕事. |
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【昭和42年3月8日】 連続写真1/6 | |
前補機の2号機が安全弁を噴き上げている. |
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【昭和42年3月8日】 連続写真2/6 | |
【昭和42年3月8日】 連続写真3/6 | |
【昭和42年3月8日】 連続写真4/6 | |
【昭和42年3月8日】 連続写真5/6 | |
同じ列車だが標準レンズでも撮る. |
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【昭和42年3月8日】 連続写真6/6 | |
昭和41年42年ではC62以外はD51が1枚あるだけだった. |
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【「長万部駅 その2 昭和43年」に続きます】 |