「蒸気機関車がいた時代」

肥薩線 大畑・真幸 -盛- 

これだけスケールの大きな車窓風景は狩勝峠がなくなってからは、ここ「矢岳越え」だけだった。「肥薩国境」、秀吉の時代から肥後と薩摩の境は簡単には越えられないまさに国境だった。島津氏が治める薩摩国は、秀吉から見ても徳川幕府から見ても腫れ物に触るような細心の配慮が必要な国だった。300年近くに渡る薩摩封じ込めは結局、戊辰戦争により破られ明治維新が成立し、さらに紆余曲折の末、その10年後に西南戦争が勃発し西郷軍が矢岳の西10kmほどのところにある久七峠を越えて肥後の国になだれ込んだ歴史がある。
この
肥薩線矢岳越えは、北から人吉-(10.4km)-大畑(おこば)-(9.5km)-矢岳-(7.3km)-真幸-(7.8km)-吉松という駅順で、人吉、大畑、矢岳は熊本県、真幸は宮崎県、吉松は鹿児島県である。
最初は昭和40年7月に、そして2回目は42年7月
に訪ねた。いずれも真夏だったのであまり歩かず、後年秋から冬に行き始めてから本当の雄大さを知った。
当時、確か人吉在住のFさんが時々鉄道趣味誌に紹介記事を書いていらっしゃったが、実際に行ってみると、スイッチバック、ループ線、後補機もあるというようにわくわくする事ばかりで、景色の雄大さよりもそちらに気を取られていたようだ。


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大畑 【昭和40年7月】
夏雲の下、ループ線の上から大畑駅を望む向こうに人吉盆地が見える。


大畑 【昭和40年7月】
人吉から混合列車が上ってきた。


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大畑駅 【昭和40年7月】
炭水車の水の高さまで結露している。その昔、4110(Wiki)の時代に使われていたという古風な給水塔がD51を見守る。


大畑駅 【昭和40年7月】
腕木式信号機が使われているが、2年後再訪した際には色灯式になっていた。


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大畑駅 【昭和40年7月】
博多と宮崎を結ぶ準急「えびの」が2往復走っていた。なつかしいキハ55に冷房はないが、車内には高原の気持ちよい風が吹き抜けている。
通過できないスイッチバックなので、真幸とともに乗降客は殆んどいないが全て客扱いしていた。



大畑駅 【昭和40年7月】
交換の準急「えびの」車窓から。


大畑駅 【昭和42年7月】
引込み線に後退し、今度は前進で急勾配に向かう。
昭和42年には色灯式信号機になった。


大畑駅 【昭和42年7月】
ループ線1周でこれだけ高度をかせぐ。手前はいきなり1000分の25で下る人吉方面への道。


大畑 【昭和40年7月】
ダブルルーフ客車1両の混合列車が矢岳に向かう。


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大畑 【昭和40年7月】


大畑 【昭和42年7月】
人吉から上ってきた列車がループ線直下の横平トンネルに入るところ、抜けると大畑駅だ。


大畑 【昭和42年7月】
夏の多客期のためか「えびの」の編成が長い。


大畑 【昭和42年7月】
ループ線の途中、混合列車が行く。


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大畑 【昭和42年7月】
貨車で客車を挟んでいる混合列車は珍しい。


大畑 【昭和42年7月】
これも300Rのループ線の途中。100m足らずの大谷トンネルを抜ける混合列車。


大畑 【昭和42年7月】
画面右下に大畑駅が見える。


大畑 【昭和42年7月】
大野の大築堤を行く混合列車。


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大畑 【昭和42年7月】
日陰に入れば案外涼しいが、その日陰が少ない。


大畑 【昭和42年7月】
引込み線に後退しているところ。


大畑 【昭和42年7月】
逆転機を切り替え、発車!


大畑駅 【昭和42年7月】
ループ線に入ったところ。


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大畑駅 【昭和40年7月】
大畑の駅は肥薩線の開業当時そのままと思われる風情だった。


真幸駅 【昭和40年7月】
真幸17:11発の宮崎行き準急「えびの」の車窓から、日が傾いたスイッチバックの真幸駅を望む。
これは昭和40年の写真なので腕木式信号機が使われている。


真幸駅 【昭和42年7月】
昭和41年から「えびの」は急行に格上げとなった。 昭和42年のこの写真では色灯式信号機に変わっている。


真幸駅 【昭和42年7月】


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真幸 【昭和42年7月】


真幸駅 【昭和42年7月】


真幸 【昭和42年7月】
矢岳から下ってきた混合列車。向こう側に真幸駅の駅舎が見える。


真幸駅 【昭和42年7月】
後退でホームがある待避線に入る。


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真幸駅 【昭和42年7月】
矢岳から下ってきた混合列車がホームに後退する。


真幸駅 【昭和42年7月】
吉松に向けて下る。左は矢岳に向かう急勾配の本線。


真幸 【昭和42年7月】


真幸駅 【昭和42年7月】
駅を発車し後退中。


真幸駅 【昭和42年7月】
矢岳に向けて加速、通過できない「Z」形スイッチバック構造がよく分かる。


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真幸駅 【昭和42年7月】
急行「えびの」同士のすれ違い。こちらは本線を吉松に向けて下る18:39発の宮崎行き、向こうは平坦線から加速する18:38発博多行き、さすがに夏の九州でも暗くなってきた。


《 人吉-吉松間の矢岳越えの写真は、また別の機会に7回程度に分けて掲載します 》
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