「蒸気機関車がいた時代」

長崎本線・佐世保線
 特急「さくら」

昭和40年8月、その年の10月の改正でDL化されるという話を聞き、どうしてもC60が牽く特急「さくら」を撮りたくて初めて長崎本線に行った。この時点では10月に熊本電化を控え既に熊本まで架線が張られていたので、まともに撮れる九州の蒸機牽引ブルートレインは熊本より南のC61牽引「はやぶさ」とこの「さくら」だけになっていた。

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大草-喜々津 C60 1列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】 連続写真1/4
前夕16:30に東京を発った特急「さくら」は、博多で7輌を切り離しC60牽引となり昼前に大村湾沿いの撮影名所にさしかかる。終着長崎には12:28着。


大草-喜々津 C60 1列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】 連続写真2/4
暑い夏の日の真昼間、日陰も見当たらずきつかった。


大草-喜々津 C60 1列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】 連続写3/4
トンネルが多いせいか前照灯は点けたまま。


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大草-喜々津 C60 1列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】 連続写真4/4
昭和40年10月改正で「さくら」の運行区間は東京-佐世保・長崎間に変更されたが、これはその直前の写真なので博多で後部7輌を切り離し切妻貫通扉の姿で終着長崎に向かう。この年の10月の熊本電化を機に「さくら」の牽引はDD51になった。


佐賀駅 C60 2列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】
上り「さくら」を撮る場所を車窓からロケハンしたがいい場所が見つからず、結局狭い佐賀駅で撮る羽目になった。


佐賀駅 C60 2列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】
見送りの人がたくさんいる。上りの夜行特急列車には華やかな見送り風景がつきものだった。


佐賀駅 C60 2列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】


佐賀駅 C60 2列車 特急「さくら」 【昭和40年8月】
九州の日没は遅くまだまだ影が短い。佐賀17:22発、鳥栖も通過し博多までわずか50分


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駅不明 C60 急行 【昭和40年8月】
ロケハンで移動中のすれ違い。列車は下りの不定期急行「第2玄海」と思われる。


長崎駅 C57 【昭和41年10月】
高校3年の修学旅行は九州だった。雨の長崎駅で見かけた早岐区のC57。


長崎駅 2列車特急「さくら」 【昭和41年10月】
昭和40年10月のダイヤ改正で特急「さくら」は牽引機がDD51になり、長崎・佐世保行きの併結となった。この列車は肥前山口で佐世保からの列車と併結され東京へ向かう。


佐世保線 武雄-永尾 C57+・・・+C11 【昭和42年10月】
趣味誌で見たC11牽引の「さくら」が気になり初めて佐世保線に足を踏み入れた。東京を前日10:30に出た31列車急行「雲仙・西海」は肥前山口で長崎行きの「雲仙」を分割し、2031列車急行「西海」となって朝霧の中を武雄から25‰の西谷峠を越えて終着佐世保に向かう。


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佐世保線 武雄-永尾 C57+・・・+C11 【昭和42年10月】
切り離しがあり6輌しかないが、C11の後補機が定期運用されていた。


佐世保駅 C11 2001列車 特急「さくら」 【昭和43年2月】 連続写真1/3
長崎・佐世保行き併結の「さくら」は肥前山口で長崎行きは8輌、佐世保行きは7輌に分割される。そして佐世保行きは早岐で進行方向が逆になるが、DD51はそのまま後補機になりC11が本務機となり佐世保までの3駅13分を走る。


佐世保駅 C11 2001列車 特急「さくら」 【昭和43年2月】 連続写真2/3


佐世保駅 C11 2001列車 特急「さくら」 【昭和43年2月】 連続写真3/3
左端に九州特有の行燈式駅名表示が写っている。


佐世保駅 C11 【昭和43年2月】


佐世保駅 C11 【昭和43年2月】


佐世保駅 【昭和43年2月】
佐世保に到着した2001列車。早岐からはヘッドマークもそのままに形としては後補機として到着した
DD51の次位は長崎行きと分割した肥前山口から編成に加わった簡易電源車マヤ20と思われる。


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佐世保駅 【昭和43年2月】


長崎本線・佐世保線は、蒸機がなくなってからいい撮影場所がたくさんあったことに気づいたが既に遅かった。


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