「蒸気機関車がいた時代」

流氷の町 紋別 昭和47年3月9日

蒸機列車が少なかったこともあり、紋別周辺は全く撮っていない。しかし「流氷の町」のイメージに最もふさわしい町は紋別と思い込んでいたので、1回だけ行くことにした。

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紋別駅
9時前に紋別に着いた。前年に新しくなった駅舎。


紋別駅前
急行「北見」行きのバスが発車待ち。高速道路はなかったが、急速に道路整備が進んだ時代だった。


紋別駅
ここから北見へ鉄道で行くには名寄線で遠軽へ、そして石北本線で北見へのルートとなるが8:26発の急行「天都」に乗れば北見まで所要2時間と少し。しかし「天都」以外に急行はなく普通列車の接続が長いこともあって各駅停車で行くと3時間以上かかり本数も少ない。当時の道内時刻表でバス時刻を調べると、急行バスでちょうど3時間で紋別-北見を繋いでおり、しかも1日8本ほどあるので十分商売になるということらしい。もちろん通しで乗る人がどのくらいいたのかはわからないが途中、中湧別、遠軽、生田原、留辺蘂を通るので結構乗客がいたのだろう。


紋別駅前通り


紋別駅前通り
奥に駅が見える。


紋別駅前通り


紋別駅前通り


紋別駅近くのわき道


紋別駅近くのわき道
ストーブの掃除は定期的に必要、滑り止めに燃えガラを道に撒くところをよく見かけた。


紋別駅前通り
地元の人が凍結路面をスタスタ歩く姿を見ていつも不思議だった。


紋別駅前通り
私は最初から最後までごく普通のゴム長靴で、道路、階段などでは滑らないように注意しながら歩いていた。駅員さんが長靴の裏を見せてくれたことがあったが、ギザギザは細かいものの特別違うようには見えなかった。


紋別駅前通り
降車位置は酒屋の前のようだが、タバコ、切手・印紙の販売、荷物の一時預かりもやっているようだ。


紋別駅前通り
港が見えてきた。


紋別港


 
紋別港  
駅と港はこんなに近い。


 
紋別港
海開けも遠くないようだ。


紋別港


紋別港


車窓から
気動車で名寄へ向かう。流氷で埋め尽くされた海。オジロワシだろうか。


車窓から
線路は海沿いだが山側には牧場がいくつも見られた。


車窓から


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興部駅
無精して気動車のガラス越しに9600を撮った。


【「紋別」は今回のみで終了です】
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