「蒸気機関車がいた時代」

鹿児島本線 田原坂・熊本機関区

昭和3912月、高校1年の冬に初めて九州に行った。趣味誌の情報で翌年10月の熊本電化を知り、C59が本線上を走る写真が撮れる最後の機会であることが分かっていた。たまたまこの年に、小さい頃から遊んでくれていた親戚のお兄さんが八代に転勤になっていたこともあり初めての単独長距離旅行に行けることになった。
「美しい大型機関車が長大編成の優等列車を牽き次々に現れる」、あこがれの状況が眼前で展開された夢のような日は昭和391225日、あらかじめロケハンしていた木葉から田原坂信号場へ向かう。ちなみに田原坂Wikiは西南戦争激戦の地であるが、当時はそんなことも知らずのん気に気持ち良く暖かい半日を過ごした。


木葉-田原坂 3209列車 臨時急行「第2桜島」C60 【昭和39年12月】 連続写真1/4
年末も近く長距離の臨時急行もあり、次々に大型蒸機が通り過ぎる様は壮観だった。


木葉-田原坂 3209列車 臨時急行「第2桜島」C60 【昭和39年12月】 連続写真2/4


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木葉-田原坂 3209列車 臨時急行「第2桜島」C60 【昭和39年12月】 連続写真3/4
一等車がなつかしい。当時の編成の特徴は、一等車と機関車の間が、二等の座席指定車だった。


木葉-田原坂 3209列車 臨時急行「第2桜島」C60 【昭和39年12月】 連続写真4/4


木葉-田原坂 普通列車 【昭和39年12月】
たまに来るC57が新鮮に見えた。


木葉-田原坂 普通列車 【昭和39年12月】
茅葺きの民家が何戸も見える。


木葉-田原坂 123列車 C61 【昭和39年12月】 連続写真1/4
鳥栖始発、鹿児島行きの123列車、当時の時刻表をみると10時間21分もかかっている。


木葉-田原坂 123列車 C61 【昭和39年12月】 連続写真2/4


木葉-田原坂 123列車 C61 【昭和39年12月】 連続写真3/4


木葉-田原坂 123列車 C61 【昭和39年12月】 連続写真4/4
各駅停車の編成の長さもさすが本線の貫禄。


木葉-田原坂 207列車 急行「天草」C59 【昭和39年12月】 連続写真1/3
京都発筑豊線経由熊本行きの「天草」、一等車が3両もついている。当時の時刻表を友人から借りて調べると先頭側から「指2+寝B+指1+自1+寝2+寝2+2+2+2+2+2」の11両編成だ。京都門司間では更に後ろに3両の2等車が連結されていた。C59は鳥栖-熊本の短い運用だ。


木葉-田原坂 207列車 急行「天草」C59 【昭和39年12月】 連続写真2/3


木葉-田原坂 207列車 急行「天草」C59 【昭和39年12月】 連続写真3/3
当時の優等列車では機関車と一等車の間は二等の座席指定車だったと思う。これはスハフ43か、狭い窓の大好きな客車だった。


木葉-田原坂 3列車 特急「みずほ」C59 【昭和39年12月】
博多で7両を切り離し機関車をC59につけかえた「みずほ」、終点の熊本(定刻13:23着)はもうすぐ。


木葉-田原坂 3列車 特急「みずほ」C59 【昭和39年12月】


木葉-田原坂 124列車 C59 【昭和39年12月】
真っ黒な編成の普通列車、C59のランボードの白線が引き立つ。


木葉-田原坂 124列車 C59 【昭和39年12月】
124列車は鹿児島発鳥栖行き


木葉-田原坂 7列車 特急「はやぶさ」C61 【昭和39年12月】
「みずほ」の30分後にやってくる「はやぶさ」の機関車は博多から西鹿児島まで通し運転のため、熊本のC59ではなく鹿児島機関区のC61が牽引する。東京発は前夜の19:00、熊本着が13:53、終点の西鹿児島到着は17:30と22時間半の長旅だ。


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木葉-田原坂 7列車 特急「はやぶさ」C61 【昭和39年12月】
半日いても黒煙もうもうというような列車は全くなかった。助士の腕がよいのか、または石炭の質もよかったのだろうか。


玉名駅 3列車 特急「みずほ」C59 【昭和39年12月】


肥後伊倉駅 C59 【昭和39年12月】
新大阪発熊本行き203列車寝台急行「ひのくに」が豪快に通過する。


熊本駅 127列車 C60 【昭和39年12月】
駅の南西にある機関区で撮っていると、太い汽笛が聞こえ16:12発鹿児島行き127列車が発車していった。


熊本駅 4列車上り特急「みずほ」 C59 【昭和39年12月】
下りのホームでは列車を待つ乗客が集まりはじめた。


熊本駅 4列車上り特急「みずほ」 C59 【昭和39年12月】
大牟田、鳥栖で停車し博多までの運用、特に山場もないが毎日坦々と走ることが鉄道の役割だ。16:30の発車を待つ。


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】
夕方の熊本機関区。豊肥線の9600、C12、三角線のC11もいたようだがとにかく本線用のC59が多く圧倒された。


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】


熊本機関区 C60 【昭和39年12月】
炭水車の船底形状がよくわかる。


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】


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熊本機関区 C60 【昭和39年12月】


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】


熊本機関区 C59 【昭和39年12月】
16:50、だいぶ日が傾いてきた。


熊本駅 C59 【昭和39年12月】


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熊本駅 C59 【昭和39年12月】
現在17:10、冬至が過ぎたばかりでさすがに九州でも日暮れが近い。これから夜にかけて上りの夜行列車が続々発車する。
東京オリンピックも成功裡に終了し、この国がさらに大きく変わっていこうとする時代だった。
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