「蒸気機関車がいた時代」

あの頃の川越線 その1

 川越線は日帰りで行くことができたので気軽に何回か訪問した。
 駅の並びは大宮-日進-指扇-南古谷-川越-西川越-的場-笠幡-武蔵高萩-高麗川の順で、指扇-南古谷間の荒川橋梁を除くとほぼ田園地帯が続き、一部にはまだ雑木林が残っていた。
「その1」は川越より東側の区間です。

日進-指扇 29680 【昭和43年8月】
雑木林の間をデフレクターのない9600がゆらゆらと車体を揺らしながらやってきた。


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日進-指扇 69636 【昭和43年8月】


日進-指扇 69636 【昭和43年8月】
指扇駅と思われます。


指扇駅 69636 【昭和43年8月】
大宮行き気動車と交換し指扇駅を発車。


指扇駅 69636 【昭和43年8月】


指扇-南古谷 【昭和44年1月】
朝の大宮行き822列車が荒川橋梁に躍り出た。指扇と南古谷の間に横たわる荒川。実際の川幅は数十メートルだが、広大な河川敷があり橋梁は791mと長大だ。また上部トラス部分が川筋の上のみで全長の10%もなく、その他は見通しのよいデッキガーダー形式だったので開放感がありとても撮りやすかった。


指扇-南古谷 【昭和44年5月】
これも822列車。


指扇-南古谷 【昭和44年9月】


指扇-南古谷 69636 【昭和44年9月】
下り貨物列車。


指扇-南古谷 【昭和43年12月】
靄が残る初冬の日。


指扇-南古谷 【昭和43年12月】


指扇-南古谷 【昭和44年1月】
1月のこのように晴れた日は空っ風が身に沁みた。シベリアからの季節風が日本海でたっぷりと水蒸気を含み、上越国境で大量の雪を降らせる。そしてほとんど平坦な地形でさえぎるものがない関東平野をを空っ風が吹き抜ける。


 
指扇-南古谷 【昭和44年1月】  


 
指扇-南古谷 【昭和44年9月】


指扇-南古谷 29680 【昭和43年8月】
夕日が西に沈む頃、今日も7輌編成の821列車がやってきた。


指扇-南古谷 29680 【昭和43年8月】


指扇-南古谷 29680 【昭和44年9月】


指扇-南古谷 【昭和44年9月】 連続写真1/4
9月とはいえ秋の日は短い。夕焼けを背に前照灯を点けた2489列車が行く。 


指扇-南古谷 【昭和44年9月】 連続写真2/4


指扇-南古谷 【昭和44年9月】 連続写真3/4


指扇-南古谷 【昭和44年9月】 連続写真4/4  


 
 
南古谷 【昭和44年1月】  
冬枯れの武蔵野の風景も9600にはよく似合っていた。歯切れのよいブラストを奏でながらセメント列車が行く


 
 
南古谷 【昭和44年1月】  


 
 
南古谷 【昭和44年1月】  


 
 
南古谷 【昭和44年5月】  


 
南古谷 【昭和44年5月】  


 
 
南古谷駅 【昭和44年9月】  
貨物列車同士の交換風景。本屋が右側なので左の列車が大宮行き、右の列車が高麗川方面行きのようだ。


 
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南古谷駅 【昭和44年9月】  



【「その2」に続きます】
 
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