「蒸気機関車がいた時代」

根室本線 狩勝峠

狩勝峠Wiki風景の雄大さから、当時鉄道写真を撮っていた全ての人の憧れの的だった。既に急勾配緩和のために新狩勝トンネルの工事中で、昭和41年9月に新線に切り替えられることが決まっており、最後の冬になる昭和41年初めて冬の北海道を訪れた。ここはどうしても展望のきく日に行きたいところなので、道内を天気予報を気にしつつ移動し晴天が予想される3月18日と27日の2日間訪問した。


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狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】
狩勝は信号場だったが客扱いをしており、一日4往復の普通列車が停車した。前日帯広のユースホステルで泊まり、6:38発の始発気動車で狩勝に8:25着、信号場職員の皆さんは例にもれず大変親切でストーブにあたれとか、お茶もごちそうになったり色々お世話になった。信号場は峠のトンネルの西側にあり、十勝平野を望むには峠の向こう側まで国道38号線を走る車に乗せてもらうのだが、真冬の峠道は交通量が少なく15分に1台くらいしか通らなかった。それでも手を上げれば必ず停まってくれて、峠の向うで降ろしてもらう際には「遭難しないように天候が悪化したらすぐ引上げるよう」に親切に言われた。
写真でしか知らなかった冬の狩勝峠からの、この雄大な景色を初めて見たときに鳥肌が立ったことを今でも覚えている。ここを後補機つきの列車がゆっくりゆっくりと這うように上ってくる。前後2台の機関車のブラスト音が、風向きによって大きくなったり小さくなったりしながら着実に高度を上げてくる。


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 
写真上部の新内駅を発車してから足元(峠の隧道入口)に来るまで客車列車でも20分以上かかっていた。
この狩勝隧道は、当時でも珍しかった遮風用の垂れ幕を使用していた。 
以下【「狩勝高原エコトロッコ鉄道」サイトより引用させていただきました】
 
隧道内は25/1000という急勾配が続くため機関士、機関助士は排煙と熱気に苦しめられ続けました。その隧道の環境改善策として昭和23(1948)年11月に遮風用の垂れ幕が新得側出口に設置されました。操作は上り列車後部が隧道に入りきったと同時に入り口上部に引き上げてある厚手のシート造りの垂れ幕(ウエイト付き)を瞬時に下げて入り口を塞ぎます。これにより排煙を列車後部に吸い寄せて運転室に排煙などがまとわりつくのを防止する装置です。24時間体制で保線係員が操作していました。


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】
気動車を除くすべての列車は急勾配を上がるために、後ろにも機関車をつけている。勾配もきついがカーブもきつい。


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狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】
遠くに十勝平野が見える。


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真1/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真2/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真3/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真4/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真5/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真6/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真7/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真8/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真9/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】 連続写真10/10


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】
峠を越えてきた函館発釧路行きの特急「おおぞら」が新内トンネルに入る直前、R201の急カーブを回り込む。
当時の根室本線の優等列車は、特急が「おおぞら」「おおとり」(いずれも函館-釧路)、急行が「阿寒」(札幌-根室)、「狩勝」(札幌-釧路)、「十勝」(札幌-帯広)、そして唯一夜行客車列車の「まりも」(札幌-釧路)の6本あった。


狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】
線路端に降りてみた。


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狩勝信号場-新内 【昭和41年3月】


狩勝信号場 【昭和41年3月】
釧路発函館行きの上り特急「おおとり」が峠を越えてきた。授器に通票(Wiki)がセットされている。


狩勝信号場 【昭和41年3月】
落合までの通票をタブレットキャッチャーで取った瞬間、「わっか」がひしゃげている。


狩勝信号場 【昭和41年3月】
線路の配置図、左下が新内、右上が落合側。急勾配の途中にあるため、狩勝信号場(標高534m)はスイッチバック(Wiki)方式である。
この時代のいつかNHKの「ゆく年くる年」で午前0時をまたいで狩勝信号場がTVに写ったことをよく覚えている。


狩勝信号場 【昭和41年3月】


狩勝信号場 【昭和41年3月】
晴れているが風が強い。山の稜線には雪煙が上がっている。


狩勝信号場 【昭和41年3月】


狩勝信号場 【昭和41年3月】
右奥に職員の官舎が見える。狩勝信号場には駅員9家族、保線員21家族が居住していた。


狩勝信号場-落合 【昭和41年3月】


狩勝信号場-落合 【昭和41年3月】


狩勝信号場-落合 【昭和41年3月】 連続写真1/4


狩勝信号場-落合 【昭和41年3月】 連続写真2/4


狩勝信号場-落合 【昭和41年3月】 連続写真3/4


狩勝信号場-落合 【昭和41年3月】 連続写真4/4
十勝、道東地方への様々な物資を満載した貨物列車、峠の信号場はもうすぐだ。


狩勝信号場-落合 【昭和41年3月】
本務機はすでに信号場内に入っている。


狩勝信号場 【昭和41年3月】
峠を登りきった上りの貨物列車が通過する。新内からの通票を受器に渡す緊張する瞬間、機関助士が身を乗り出してタブレットキャリアを投げ込む。


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狩勝信号場 【昭和41年3月】
前の写真から続いて、今度は次の落合までの通票を受け取る。タブレットキャッチャーがないのでタブレットキャリアを腕に引っ掛けるのだが、足元も凍結しており細心の注意が必要だ。この貨物列車は通過だが、すれ違いの対向列車が待避線に停車している。

この年の秋、狩勝峠は新線に切り替えられた。  
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