「蒸気機関車がいた時代」

狩勝峠

 狩勝峠その雄大な景観から当時鉄道写真を撮っていた全ての人の憧れの的だった。既に急勾配緩和のために新狩勝トンネルの工事中で昭和41年9月に新線に切り替えられることが決まっており、最後の冬になる昭和41年3月に初めて冬の北海道を訪れた。ここはどうしても展望のきく日に行きたいところなので、道内を天気予報を気にしつつ移動し晴天が予想される3月18日と27日の2日間訪問した。
 【ここでは全て撮影の時系列順に掲載しました

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新得機関区 【昭和41年3月18日】
前日は音別で撮り帯広のYH「平原荘」に泊まった.この日は予報通りに晴れ帯広6:38発の気動車で狩勝に向かう.
新得機関区は狩勝峠越えの新得-落合間の補機を一手に受け持つ機関区だった.


 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】 連続写真1/4  
狩勝は信号場だったが客扱いをしており一日4往復の普通列車が停車した.
狩勝に8:25着、信号場職員の皆さんは例にもれず大変親切でストーブにあたれとか、お茶を淹れてくださったり大変お世話になった.


 
 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】 連続写真2/4  
落合から上ってきた後補機付きの貨物列車.煙をよく見ると、本務機は谷から吹き上げる風に、後補機は山から吹き下ろす風にあおられているようだ.


 
 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】 連続写真3/4  
左側の下がったところが国道38号線.昼間でも車が少なく15分に1台ほどの通行量だったように感じた.


 
 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】 連続写真4/4  


 
 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】  
交換のため後退し待避線に入る.


 
 
狩勝信号場 【昭和41年3月18日】 連続写真1/3  
峠の隧道を抜け信号場構内に進入する釧路発函館行きの上り特急「おおとり」.
直前に新内からの通票を受器に投げ込み、それを駅員さんが回収しているように見える.


 
 
狩勝信号場 【昭和41年3月18日】 連続写真2/3  
授器に通票がセットされている.
右側には職員官舎が見える.最盛期には駅員9家族、保線員21家族が居住していたとのこと.


 
 
狩勝信号場 【昭和41年3月18日】 連続写真3/3  
タブレットキャッチャーに引っ張られ、わっかがひしゃげている。


 
 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】  
交換を済ませた下り貨物列車が発車する.


 
 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】  
強風で山の稜線には雪煙が舞い上がっている.


 
 
狩勝信号場 D51 864+…+D51 865 【昭和41年3月18日】


狩勝信号場 【昭和41年3月18日】
狩勝信号場の構内平面図、左下が狩勝隧道を通り新内方面、右上が落合側.
峠の隧道の直前にある狩勝信号場(標高534m・キロ程118K990)は線路配置が複雑なスイッチバック方式.

 この時代のいつかNHKの「ゆく年くる年」で午前0時をまたいで狩勝信号場がTVに映ったことをよく覚えている.


狩勝信号場 D51+…+D51 【昭和41年3月18日】
この前の2カットは現像で大きな気泡がつき失敗した.


狩勝信号場 D51 137 【昭和41年3月18日】
峠の狩勝隧道(954m長さ)を越えてきた貨物列車が通過する.
新内からの通票を受器に渡す緊張の瞬間、機関助士が身を乗り出してタブレットキャリアを投げ込む



狩勝信号場 D51 137 【昭和41年3月18日】
前の写真から続いて次の落合までの通票を受け取る
タブレットキャッチャーがないのでタブレットキャリアを腕に引っ掛けるのだが、足元も凍結しており細心の注意が必要だ
この貨物列車は通過だが、すれ違いの対向列車が待避線に停車している.



狩勝信号場 【昭和41年3月18日】
狩勝信号場の標高は534m.


狩勝信号場 【昭和41年3月18日】


狩勝信号場-新内 C57+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真1/4 キロ程123K付近
 十勝平野を望むには峠の東側まで国道38号線を走る車に乗せてもらうのだが、真冬の峠道は交通量が少なく15分に1台くらいしか通らなかったそれでも手を上げれば必ず停まってくれ、峠の十勝側で降ろしてもらう際には「天候が悪化すると大変危険なので、もし荒れた際はすぐ引上げるよう」に親切に言われた
 写真でしか知らなかった冬の狩勝峠の、この雄大極まる大景観を初めて見たときに鳥肌が立ったことを今でも覚えている14時頃、後補機付きの釧路発小樽行きの422列車がゆっくりゆっくりと這うように上ってくる前後2台の機関車のブラスト音が、風向きによって大きくなったり小さくなったりしながら着実に高度を上げてくる

(以下キロ程は「狩勝高原エコトロッコ鉄道」サイトより許可を得て引用し本務機関車の位置で推定しました)

狩勝信号場-新内 C57+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真2/4
 写真上部の新内駅(標高334m・キロ程127K720付近)からこの地点まで7km強で標高差200m近くを15分以上かけてやっと上ってきた.


狩勝信号場-新内 C57+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真3/4
画面の上部に新内駅が見える.この先数百mで狩勝隧道の入り口に達する.この狩勝隧道は、当時でも珍しかった遮風用の垂れ幕を使用していた.   

以下【狩勝高原エコトロッコ鉄道(狩勝隧道)」サイトより許可を得て引用させていただきました】

 隧道内は25‰の急勾配が続くため機関士、機関助士は排煙と熱気に苦しめられ続けました。その隧道の環境改善策として昭和23(1948)年11月4日に遮風用の垂幕が新得側出口に設置されました.操作は上り列車後部が隧道に入りきったと同時に入口上部に引き上げてある厚手のシート造りの垂幕(ウエイト付き)を瞬時に下げて入り口を塞ぎます.これにより排煙を列車後部に吸い寄せて運転室に排煙などがまとわりつくのを防止する装置です.(下り列車には不要)24時間3交代制で新得保線区石狩線路班が廃線の日まで操作していました.


狩勝信号場-新内 C57+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真4/4 キロ程120K500付近
勾配もきついがカーブもきつい


狩勝信号場-新内 C57  【昭和41年3月18日】 キロ程120K800付近
14時半頃の421列車が軽やかに下っていく.


狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 キロ程122K300付近
絶気で下っていく貨物列車のかすかな走行音が聞こえてくる.


 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真1/13 キロ程126K500付近  
画面中央やや左に新内駅と下り列車が見える.新得に向かう下り列車はΩカーブを進み画面右端の築堤に現れる.
このS字カーブに差し掛かった後補機つき上り貨物列車はまだまだ右に進む.


 
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狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真2/13 キロ程126K付近  
画面の左端に新内から新得に向かうカーブした築堤がわずかに見えるが、この部分は前のカットの右端に見える.
後補機付きの上り貨物列車は狩勝側の最初のΩカーブに差し掛かる.


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真3/13 キロ程124K500付近  
狩勝側二つ目のΩカーブを上る.列車は向こう側に進んでいる.


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真4/13  


 
 
123km500狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真5/13  


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真6/13  


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真7/13 キロ程123K付近  


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真8/13  


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真9/13  


 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真10/13  


 
 
123km狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真11/13 キロ程122K300付近   


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真12/13  


 
 
狩勝信号場-新内 D51+…+D51  【昭和41年3月18日】 連続写真13/13 キロ程122K100付近  


 
 
落合-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真1/5  
 ここからは2回目の撮影.前日は音別、十弗で撮影し帯広のYH「平原荘」泊、翌朝8:29発の432D で狩勝に10:06着.
最初は落合側に少し歩いたところで撮ることにする.
 十勝、道東地方への様々な物資を満載した貨物列車がやってきた.


 
   
落合-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真2/5   
落合と狩勝信号場間の距離は約7.8㎞.十勝側とは全く異なる景観.


 
   
落合-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真3/5  


 
 
落合-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真4/5   


 
 
落合-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真5/5   
峠の信号場はもうすぐだ.


 
 
新内-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 キロ程123K付近  
ヒッチハイクで峠を越えて十勝側に行く.画面中央やや右に新内駅が見える.


 
 
 新内-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】  


 
 
新内-狩勝信号場  【昭和41年3月27日】 キロ程121K500付近  
 昼過ぎに峠を越えてきた函館発釧路行きの特急「おおぞら」が新内隧道(124m)に入る直前、R201の急カーブを回り込む.
 当時の根室本線の優等列車は、特急が「おおぞら」「おおとり」(いずれも函館-釧路)、急行が「阿寒」(札幌-根室)、
「狩勝」(札幌-釧路)、「十勝」(札幌-帯広)、そして唯一夜行客車列車の「まりも」(札幌-釧路)の6本あった



 
 
 新内-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真1/4 キロ程123K付近  


 
 
  新内-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真2/4  


 
 
 新内-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真3/4  


 
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新内-狩勝信号場 D51+…+D51  【昭和41年3月27日】 連続写真4/4  


【「狩勝峠」は今回限りです】
 
   
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