「蒸気機関車がいた時代」

鹿児島本線 その2 熊本機関区

 熊本機関区訪問は昭和39年12月23日の夕方のこと。当時の動力車配置表を見ると豊肥線用の9600、高森線用のC12、三角線用のC11、そして本線貨物用のD51もいたが、10輌いたC59の存在感が圧倒的だった。

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右からC59 1・C59 129・C59 119
夕方からの本州行き上り夜行列車を牽くためにC59が集結している。


C59 119・C59 1


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C59 129・C59 119


D51 206
D51は肩身が狭そうにしている。


C60 107
鹿児島機関区のC60がいた。


C59 1


C59 1・C59 119


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C60 107
16時12分発の鹿児島行き127列車が発車していく。


4列車 特急「みずほ」
16時30分発の東京行き「みずほ」が入線している。右の1番線には16時35分発の門司港始発人吉行き準急「くまがわ」の客が並んでいる。


C59 121
大牟田、鳥栖で停車し博多までの運用、特に山場もないが毎日坦々と走ることが鉄道の役割だ。16:30の発車を待つ。


C59 31


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C59 1


C60 29
鳥栖機関区所属のC60 29。


C59 1


 
C59 119  


 
C59 1・C59 31
16時50分、さすがに日没の遅い九州でも日が傾いてきた。


C59 31


C59 1


C59 119
18:09発の京都行き「天草」の先頭に立つ119号機がゆっくり後退する。


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C59 119
現在17:10、冬至が過ぎたばかりでさすがに九州でも日暮れが近い。これから夜にかけて上りの夜行列車が続々発車する。
東京オリンピックも成功裡に終了し、この国がさらに大きく変わっていこうとする時代だった。


鹿児島本線 その1 田原坂」 2018.12/15~2019.4/14   
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