「蒸気機関車がいた時代」

鹿児島本線 その1 田原坂

初めて九州を訪れたのは昭和39年の年末。この年に親戚が転勤で八代に赴任し、そこを頼りに初めての単独長距離旅行ができた。
田原坂(たばるざか)を訪れたのは12月25日、熊本電化が翌年に迫っており本線を走るC59が撮れる最後の機会だった。

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肥後伊倉駅 C59 30
八代8:40発準急「くまがわ」で肥後伊倉9:46着。交換で、開業したばかりの新大阪始発の203列車寝台急行「ひのくに」の豪快な通過シーンに遭遇しもっと早起きしなかったことを後悔した。このあと区間列車で戻り木葉に10:37に着いた。


木葉-田原坂 C60 31 【連続写真1/4】
木葉から田原坂方面に歩く。大阪始発の臨時急行3209列車「第二桜島」がやってきた。


木葉-田原坂 C60 31 【連続写真2/4】
「くまがわ」車窓からのロケハン中には全く気がつかなかったが、道床の向こう側には翌年10月の熊本電化に備え既にコンクリートポールが横倒しに並んでいるというきわどい状況で、ギリギリ間に合った幸運に感謝した。


木葉-田原坂 C60 31 【連続写真3/4】
寝台車はないが、1等車がついている。機関車との間の客車は座席指定車。


木葉-田原坂 C60 31 【連続写真4/4】
このC60は鹿児島までのロングランなのだろう。


木葉-田原坂 C57 150
11時半頃の川内始発鳥栖行き122普通列車。牽引は鹿児島区のC57、多客期なのでC60、C61が不足し日豊本線用のC57 が充当されたのかもしれない。


木葉-田原坂 C57 150
茅葺き屋根の農家が何軒も見える。


木葉-田原坂 C61 12 【連続写真1/5】
11時40分頃、鳥栖始発鹿児島行きの123列車がやってきた。


木葉-田原坂 C61 12 【連続写真2/5】
時刻表を見ると鳥栖-鹿児島間で10時間21分もかかっている。


木葉-田原坂 C61 12 【連続写真3/5】
画面奥の高台にモニュメント風の構造物が見える。田原坂は西南戦争の激戦地であり、その慰霊碑のようなものかもしれない。
(2018.12.28:現在の地図を見たところ、まさにこの構造物がある位置に「田原坂西南戦争資料館」があることが分かりました)


木葉-田原坂 C61 12 【連続写真4/5】


木葉-田原坂 C61 12 【連続写真5/5】
普通列車だが、熊本までは本線の風格十分の堂々11輌編成。


木葉-田原坂 C59 129 【連続写真1/7】
名古屋始発の熊本行き603列車急行「阿蘇」。


木葉-田原坂 C59 129 【連続写真2/7】


 
木葉-田原坂 C59 129 【連続写真3/7】  
1等車が3輌もついている。


 
木葉-田原坂 C59 129 【連続写真4/7】


木葉-田原坂 C59 129 【連続写真5/7】


木葉-田原坂 C59 129 【連続写真6/7】


木葉-田原坂 C59 129 【連続写真7/7】


木葉-田原坂 C59 31 【連続写真1/4】
3列車特急「みずほ」は13時過ぎに現れる。


木葉-田原坂 C59 31 【連続写真2/4】
左側の少し高いところに上がると道床の向こうの横倒しのコンクリートポールが見えてしまうので同じような写真ばかりになってしまった。それでも次々に来る急行・特急列車に見とれて十分満足していたような気がする。


木葉-田原坂 C59 31 【連続写真3/4】


木葉-田原坂 C59 31 【連続写真4/4】  


 
 
木葉-田原坂 C59 1  
13時半頃の124列車、鹿児島6:18発鳥栖行き。


 
 
木葉-田原坂 C59 1  


 
木葉-田原坂 C61 31 【連続写真1/4】  
13時半頃、7列車特急「はやぶさ」がやってきた。


 
 
木葉-田原坂 C61 31 【連続写真2/4】  
終着西鹿児島には17時30分着。始発の東京は19時00発、所要22時間半。


 
 
木葉-田原坂 C61 31 【連続写真3/4】  
この先の停車駅は、熊本、八代、水俣、出水、川内、西鹿児島の順。


 
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木葉-田原坂 C61 31 【連続写真4/4】  
暖かく気持ちの良い一日だった。


【「その2」は熊本機関区です】
 
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