「蒸気機関車がいた時代」

関西本線 加太越え その1 昭和39年

初めての関西本線訪問は昭和39年3月のこと。目的は当時絶滅寸前のC51を撮るためだった。

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亀山駅 C57+…+C57 【昭和39年3月23日】
関西本線初訪問の時の写真.前夜、東京から乗った湊町行き急行「大和」が亀山からC57の後補機をつけ加太に向かう.


 
 
亀山機関区 D51 693とD51 1015 【昭和39年3月23日】  
この時はまだ一眼レフがなくキャノネットを持って行った.


 
 
亀山機関区 D51 264とD51 940 【昭和39年3月23日】  
集煙装置の有無で印象がまるで異なる.集煙装置がない264号機は紀勢線用.


 
 
柘植駅 C57  【昭和39年3月23日】  
亀山から乗った草津線経由京都行き725列車は柘植を8:28発.


 
 
柘植-中在家 D51 885+…+D51 253  【昭和39年3月23日】  


 
 
柘植-中在家 D51+…+D51  【昭和39年3月23日】  
とりあえずC51も撮ったが、集煙装置付きのD51が後補機で活躍する貨物列車に魅了された.


 
 
柘植-中在家 D51+…+D51 1020  【昭和39年3月23日】  


 
柘植駅 D51 【昭和39年3月23日】
この時はC51 225が鳥羽快速の後補機仕業についていた.


中在家信号場 C57 7 【昭和39年12月20日  
同年冬に2回目の訪問.前夜20:00発の急行「伊勢・大和」で亀山に6:57着.
亀山で7:09発317Dの車掌さんに中在家で停車することと、降ろしてもらえることを確認してこれに乗ってきた.梯子のある車掌室から降ろしてもらった.


 
中在家信号場 C57 7 【昭和39年12月20日  
7時40分頃の交換.左は317D、右は742列車.


 
中在家信号場 D51 865 【昭和39年12月20日  


 
中在家信号場 【昭和39年12月20日  
8時20頃の319D.


 
中在家信号場 D51 940 +…+D51 934 【昭和39年12月20日  
下り貨物列車がスイッチバックの待避線に進入.


 
中在家信号場 D51 940 +…+D51 934 【昭和39年12月20日


 
中在家信号場 D51691+…+D51 【昭和39年12月20日 連続写真1/3  
交換の上り貨物列車がきた.


 
 
中在家信号場 D51691+…+D51 【昭和39年12月20日 連続写真2/3  
どちらの列車も後補機つき.


 
中在家信号場 D51691+…+D51 【昭和39年12月20日 連続写真3/3


中在家信号場-加太隧道  D51 940+…+D51 934 【昭和39年12月20日  
加太隧道の直前.


中在家信号場 【昭和39年12月20日  


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中在家信号場-関  D51 145 【昭和39年12月20日  
信号場から少し下のほうに行くと美しい田園が眼下に見える.10時過ぎの荷物41列車.


 
 
中在家信号場  D51 145 【昭和39年12月20日 連続写真1/3  
10時過ぎの41荷物列車は、待避線で交換待ちをこなし折り返し線に下がり発車!


 
 
中在家信号場  D51 145 【昭和39年12月20日 連続写真2/3  


 
 
中在家信号場  D51 145 【昭和39年12月20日 連続写真3/3  


 
 
龍ヶ森駅 8620 【昭和44年2月15日】  
10時半過ぎの320D.乗降客はいないがキハ35の気動車は交換が無くても殆んど停車していたように記憶している.


 
 
中在家信号場 D51 835 【昭和39年12月20日  
補機なしの貨物列車は珍しかった.


 
 
中在家信号場 D51 693+…+D51 1015 【昭和39年12月20日 連続写真1/4  
この後補機つき貨物列車は通過.


 
 
中在家信号場 D51 693+…+D51 1015 【昭和39年12月20日 連続写真2/4  


 
 
中在家信号場 D51 693+…+D51 1015 【昭和39年12月20日 連続写真3/4  


 
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中在家信号場 D51 693+…+D51 1015 【昭和39年12月20日 連続写真4/4  
 中在家で4時間ほど滞在、このあと11時半過ぎの322Dで亀山11:53着.機関区で撮影し13:19発327D で柘植13:57着、14:02発草津線の765Dで草津14:55着、15:12発播州赤穂行き875Mで京都に15:41着.夕食他で時間をつぶし19:20発の201列車急行「日向」都城行きで初めての九州へ向かった.
 この12月の訪問時に、加太越えの本当の魅力を知ったような気がする.

 
【その2は「昭和44年」です】
 
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