「蒸気機関車がいた時代」

石北本線 生田原 その6 構内-2

石北本線にはスイッチバックの常紋信号場をピークとした峠があり、その麓の生田原は夜行の急行「石北」で来たときの常紋へ行くための乗り換え駅だったが、いつの頃からか一日中この駅で過ごすこともあった。

「生田原」は今回の「その6」が最終回です。

石北本線 生田原 その1 -夜明け-」 2011. 9/1〜12/31
石北本線 生田原 その2 -駅務作業-」 2013. 9/15〜1/14
石北本線 生田原 その3 -八重-」 2013. 12/15〜4/14

石北本線 生田原 その4 -駅・周辺の一日-」 2014. 4/15〜8/14
石北本線 生田原 その5 構内-1」 2014. 8/15〜12/14


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生田原駅 【昭和45年2月】
日の出直前の無風の構内快晴が約束され強烈に冷え込んでいる朝、間違いなく氷点下20度を下回っている。


生田原駅 【昭和45年2月】
峠に向けて後補機の貨物列車が動き出した。材木運搬に使われている長物車は上り列車では満載だが戻りは空車になる。


生田原駅 【昭和45年2月】
気合い入りすぎで早々と安全弁が噴き出している。


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生田原駅 【昭和46年3月】
向こうの1番線には常紋からの単機回送で到着した9600がいる。下りの貨物列車が着いたので、これから誘導により後退し後補機として連結される。


生田原駅 【昭和46年3月】
後補機付きの貨物列車が峠に向けて出ていく。給水塔のタンク中央から凍結防止用の煙突が出ているのが見える。


生田原駅 【昭和46年3月】
後補機付きの貨物列車が出発して行く。


生田原駅 【昭和46年3月】
本気で押すのはもう少し先の八重沢あたりから。材木運搬専用車の帰りはどうしても空車になる。


生田原駅 【昭和45年2月】
重連で常紋から降りてきた貨物列車。


生田原駅 【昭和45年2月】
前補機を切り離さずに発車。


生田原駅 【昭和45年2月】
補機の9600は一つの仕業が終わり、遠軽機関区に回送を兼ねて重連のまま戻るようだ。


生田原駅 【昭和45年2月】


生田原駅 【昭和46年3月】
生田原の転車台は機関車のエアを使う「尺取り虫」と呼ばれるタイプのもので、給電用のケーブルがないのでスッキリしている。


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生田原駅 【昭和46年3月】
後補機付きの貨物列車が行く。


生田原駅 【昭和46年3月】
珍しく入換えをしている。


生田原駅 【昭和46年3月】
常紋から単機回送で9600が戻ってきた。


生田原駅 【昭和46年3月】


生田原駅 【昭和46年3月】
出発信号機が降りた瞬間に本務機の安全弁が噴き出した。


生田原駅 【昭和46年3月】
後補機付きの貨物列車がゆっくりと出て行く。


生田原駅 【昭和46年3月】
交換の後補機つきの貨物列車が峠から降りてきた。こちらの後補機付きの貨物列車は発車!


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生田原駅 【昭和46年3月】
後補機付きの貨物列車が行く。


生田原駅 【昭和46年3月】
後補機付きの貨物列車が行く。


生田原駅 【昭和47年3月】
石炭かき寄せ中だが前補機として連結のため作業中断。


   
 生田原駅 【昭和47年3月】  
網走発函館行き特急「おおとり」と交換すると重連の貨物列車は峠に向かう。


 
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生田原駅 【昭和47年3月】
重連の貨物列車が峠に向かう。


【「石北本線 生田原」は今回で終了です】


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