「蒸気機関車がいた時代」

石北本線 生田原 その1 和442月25日

 初めて北海道を訪れたのは昭和41年3月のこと。常紋には毎冬行ったが生田原は下り急行「石北」から523普通列車への乗換駅という位置づけで、2時間近くの待ち合わせの間は、暖かい待合室で気持ちよくうとうとしつつも本格的に眠り込まないように時折り外の冷気を吸いに出る。数えて4年目、昭和44年2月に初めて生田原に留まりしっかり撮ることになった。

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生田原駅 9600 【昭和44年2月25日】  
前日幌延で撮り、幌延19:12発314D急行「利尻1号」で旭川22:56着→1:04発517列車急行「石北」で生田原へ.氷点下20℃以下のホームに降りると一気に目が覚める.


 
 
生田原駅 D51 734 【昭和44年2月25日】  
毎冬「石北」から乗り換え常紋に向かうために乗る、遠軽5:54始発の網走行き523列車は6:26発.初めて発車を見送った.


 
 
生田原駅 D51 734 【昭和44年2月25日】  


 
 
生田原駅 69620 【昭和44年2月25日】  
転車台で向きを変え、次の補機仕業に備えて待機する9600.


 
 
生田原-常紋 【昭和44年2月25日】  
開けた景観の八重沢に着いた.この辺は牧場のようだ.
建物の右奥に特徴ある形の山が見える.この山の手前が生田原の駅.


 
 
生田原-常紋 D51+…+69620 【昭和44年2月25日】 連続写真1/4  


 
 
生田原-常紋 D51+…+69620 【昭和44年2月25日】 連続写真2/4  


 
生田原-常紋 D51+…+69620 【昭和44年2月25日】 連続写真3/4
上りは満載のチップ運送用の貨車は下り列車では空車になる.


 
生田原-常紋 D51+…+69620 【昭和44年2月25日】 連続写真4/4  


 
生田原-常紋 D51 【昭和44年2月25日】  
八重沢の奥からは一気に谷が狭くなり常紋まで延々と25‰が続く.


 
生田原-常紋 D51+…+9600 【昭和44年2月25日】  


 
 
生田原-常紋 D51+…+9600 【昭和44年2月25日】  


 
生田原-常紋 D51 【昭和44年2月25日】  
網走6:15始発の小樽行き522列車が峠を降りてきた.終着小樽には19:09着の長旅だ.


 
 
生田原-常紋 【昭和44年2月25日】  
画面奥に向かって走る上り特急「おおとり」だが後ろ側の前照灯を点けている.遠軽で向きが変わり先頭になるので凍結防止のためあらかじめ点灯しているようだ.


 
 
生田原-常紋 D51 425+…+49699 【昭和44年2月25日】  連続写真1/4  


 
生田原-常紋 D51 425+…+49699 【昭和44年2月25日】  連続写真2/4


 
生田原-常紋 D51 425+…+49699 【昭和44年2月25日】  連続写真3/4  


 
生田原-常紋 D51 425+…+49699 【昭和44年2月25日】  連続写真4/4  


生田原-常紋 49699 【昭和44年2月25日】  
前のカットの貨物列車を押し上げた49699が単機回送で生田原に戻る.


 
生田原-常紋 D51+…+49699 【昭和44年2月25日】  
旭川5:52始発の北見行き混合527列車は生田原を11:30発.


 
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生田原-常紋 D51+…+49699 【昭和44年2月25日】  


【「その2」に続きます】
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