「蒸気機関車がいた時代」

日田彦山線

 「ひたひこさんせん」という語呂の良さが当時も今も耳に残る。実際に撮ったネガを見ると添田以北は少なく彦山から南の写真ばかりとなった。ここでは伊田から南へ撮影地順に並べました。

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伊田駅 【昭和42年7月27日】  
日田彦山線の上り列車が到着.筑豊田川の雰囲気が色濃く残る駅だった.


 
 
伊田-内田信号場 【昭和42年7月16日】  
 当初は撮影場所を「伊田-上伊田」としていましたが、九州にお住いのY様からご指摘をいただき誤りが判明しましたので「伊田-内田信号場」に訂正させていただきます.この区間は単線ですが、日田彦山線と田川線の列車が両方走っており、内田信号場で田川線が行橋方面へ分岐していました.客車列車は日田彦山線、田川線ともにC11牽引で客車はどちらも4輌ということで行先表示か区名札を読まないと簡単には見分けがつきませんが、当時の時刻表で確認したところ現地撮影時間中に田川線の客車列車はなく、日田彦山線はネガの順番通りに上り、下りで各1本見つかりました.この列車は14:25伊田発の732列車です.(この次のカットでは列車の右に香春岳が写っています)


 
 
伊田-上伊田 【昭和42年7月16日】  
この列車は14:58伊田着の729列車です.


 
 
彦山駅 【昭和43年7月15日】  
下り急行「はんだ」で豊後中村に向かう途中、彦山駅で734列車と交換.


 
 
彦山駅 【昭和42年10月31日】  
著名な英彦山神社の下車駅だが駅前広場は砂利引きだった.
10/31なのに何故国旗掲揚?と不思議でしたが、最近調べたところなんとこれは弔旗でした.
これについては九州にお住いのY様との面白いやりとりがあるのですが残念ながら割愛します.



 
 
筑前岩屋駅 【昭和42年7月27日】  
彦山トンネルを抜けて筑前岩屋駅に到着する夕方の729列車.


 
 
筑前岩屋-大行司 【昭和42年7月27日】  
11時頃の730列車.


 
 
筑前岩屋-大行司 【昭和42年7月27日】  
13時半頃の732列車.


 
 
筑前岩屋-大行司 【昭和42年7月27日】  


 
 
筑前岩屋-大行司 【昭和42年7月27日】  
14時頃の727列車.

 
 
大鶴-今山 【昭和42年10月31日】  
この年は秋にも行った.


 
 
大鶴-今山 【昭和42年10月31日】  
16時頃の734列車.

 
 
大鶴-今山 【昭和42年10月31日】  


 
 
大鶴-今山 【昭和42年10月31日】  
16時半頃の729列車.

 
 
宝珠山駅 【昭和42年11月2日】  


 
 
宝珠山駅 【昭和42年11月2日】  
手前の山はボタ山のようだ.昭和38年まで「宝珠山炭坑」として採掘されていた.


 
 
宝珠山-大行司 【昭和42年11月2日】  


 
 
宝珠山駅 【昭和42年11月2日】 連続写真1/3  
730列車接近.


 
宝珠山駅 【昭和42年11月2日】 連続写真2/3  


 
 
宝珠山駅 【昭和42年11月2日】 連続写真3/3  
「宝珠山炭坑」の遺構が残っていた.


 
 
宝珠山駅 【昭和42年11月2日】
725列車到着、10時半過ぎの上下交換.


夜明-今山 【昭和42年7月23日】
夜明15:46発の734列車、普通列車は全て客車4輌のC11牽引だった.背景の山は三隈川対岸の日田杉の山のようだ.


夜明-今山 【昭和40年8月3日】
夜明駅を発車し日田彦山線に入る門司行き740列車.まだ9時前だが気温が上がってきた.


 
夜明-今山 【昭和40年8月3日】  


 
 
夜明-今山 【昭和40年8月3日】  


 
 
夜明駅 【昭和40年8月3日】  
7時過ぎの夜明駅.日田彦山線の733列車が3番線に停車中のところに8620牽引の久大線鳥栖行きの614列車が到着.


 
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日田駅 【昭和42年11月2日】  
三隈川の川霧で日田駅は濃い霧に包まれていた.7:23発の723列車.


 
【2017年の九州北部豪雨で添田〜夜明間は今でも一部区間が不通となっているがJR九州はBRT(バス高速輸送システム)を2023年度運行開始を目指している。このうち彦山-宝珠山間14.1kmをバス専用道として整備し、残る区間は一般道でバスを走らせる計画のようだ】
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