「蒸気機関車がいた時代」

筑豊線 原田・冷水峠

筑豊線というと当時はまだ石炭列車がたくさん走っており、複線の大きな空の下をD50、D60、9600、8620、C55がどんどん走って来るという印象があったが、博多への近道の篠栗線の分岐駅である桂川を過ぎると様相は一変しローカル線の雰囲気となる。ここでは原田(はるだ)-筑前山家-冷水峠(ひやみずとうげ)-筑前内野間の写真を集めた。冷水峠は峠のトンネルの前後が25‰の急勾配で、貨物列車にはほとんど補機がついていた。

戻る
原田駅 【昭和46年11月】
原田は筑豊線と鹿児島本線の接続駅、左の電化してあるところは鹿児島本線で右側が筑豊線のホーム。


原田駅 D60 【昭和46年11月】
鳥栖に乗り入れる客車列車はなく全ての各駅停車は原田で折り返していた。


原田駅 D60 【昭和46年11月】


戻る
原田駅 【昭和46年11月】


原田駅 D60 【昭和46年11月】
折り返しのための作業が淡々と進む。


戻る
原田駅 D60 【昭和46年11月】


原田駅 D60 【昭和46年11月】


原田駅 D60 【昭和46年11月】


戻る
原田駅 D60 【昭和46年11月】


原田駅 D60 【昭和46年11月】


 
原田駅 D60 【昭和46年11月】  


 
原田駅 D60 【昭和46年11月】


原田駅 C55 【昭和43年3月】


原田駅 C55 【昭和44年12月】
たまには雪が降ることもある。冬の天気予報を見ると北九州地方は日本海側の天候に近いことが分かる。


戻る
筑前内野駅 C55 【昭和43年3月】


筑前内野駅 C55 【昭和43年3月】
当時は全国どこへ行っても国鉄の敷地境界は定かではなく、まさに周辺の景観に溶け込んでいた。


筑前内野駅 【昭和43年3月】
大阪発佐世保/宮崎行きの特急「いそかぜ」は昭和43年10月1日ダイヤ改正で佐世保編成は特急「かもめ」の付属編成に、宮崎編成は特急「日向」となり「いそかぜ」の名称は消滅した。 その後「いそかぜ」の名称は昭和60年3月14日のダイヤ改正から米子-博多を結ぶ列車に与えられたことがある。


   
筑前内野駅 【昭和43年3月】  


 
 
筑前内野 D50 【昭和43年3月】  


 
筑前内野 【昭和43年3月】
本務機はD51のようだ。筑豊にD51は似合わない。


筑前内野 【昭和43年3月】


筑前山家 C55 【昭和43年3月】


戻る
筑前山家 D60 【昭和43年3月】
各駅停車で7両も牽いているのは珍しい。


 
筑前山家 C55 【昭和43年3月】 連続写真1/3  


 
筑前山家 C55 【昭和43年3月】 連続写真2/3


戻る
筑前山家 C55 【昭和43年3月】 連続写真3/3


筑前内野 C55 【昭和43年3月】 連続写真1/3


 
筑前内野 C55 【昭和43年3月】 連続写真2/3  


 
 
筑前内野 C55 【昭和43年3月】 連続写真3/3  


 
筑前内野 D60+C55 【昭和43年3月】
峠を駆け下りる普通列車、前のD60は回送のようだ。


 
筑前内野 D60+D60 【昭和43年3月】 連続写真1/4  


 
 
筑前内野 D60+D60 【昭和43年3月】 連続写真2/4  


 
戻る
筑前内野 D60+D60 【昭和43年3月】 連続写真3/4
重連の貨物列車がゆっくりと力強く峠を登る。


筑前内野 D60+D60 【昭和43年3月】 連続写真4/4


   
筑前山家 D50 【昭和43年3月】  


 
筑前山家駅 C55 【昭和43年3月】 連続写真 1/3


筑前山家駅 C55 【昭和43年3月】 連続写真 2/3


戻る
筑前山家駅 C55 【昭和43年3月】 連続写真 3/3


筑豊線は今後数回に分けて掲載します。


inserted by FC2 system