「蒸気機関車がいた時代」 花輪線 龍ヶ森 その1 昭和40年3月・12月 |
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宮沢賢治の世界にもあるように、岩手・秋田・青森の北東北三県には至るところに「森」の名がついた「山」がある。龍ヶ森もその例にもれず、もとは花輪線龍ヶ森駅のすぐ近くにある標高679mの当時スキー場があった山の名前である。撮影は昭和40年3月、40年12月、43年2月、43年11月、44年2月の5回、延べ9日間だったが、全長106.9kmもある花輪線のうち龍ヶ森を挟んだ峠路の岩手松尾と赤坂田の間12.2qだけという極端なことになった。その理由は、日本中を探しても8620が峠越えに、しかも重連・三重連で挑んでいるところはどこにもなかったので雄大な景観の素晴らしさも相まってこの区間に集中する結果となった。 【今回の「その1」は昭和40年の3月と12月撮影です】 (このシリーズではその1からその5まですべてを撮影順に並べます) |
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龍ヶ森-岩手松尾 38690 【昭和40年3月18日】 | |
これは龍ヶ森を6:19発の荒屋新町5:52始発の盛岡行き混合332列車.この先好摩に7:07着、終着盛岡には8:00着. 前日は奥中山で撮り、奥中山16:08発仙台行き536列車で好摩16:39着、初めての花輪線は17:04発の8620が牽く335列車だった.単音の汽笛を聞きながら暗くなった線路を進み龍ヶ森に17:57着、龍ヶ森ヒュッテに泊まった.オハ31の車体を転用したカイコ棚のようなところに寝袋が用意されており熟睡できた. |
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龍ヶ森-岩手松尾 38690 【昭和40年3月18日】 | |
龍ヶ森-岩手松尾 28643+8620+28667 【昭和40年3月18日】 連続写真1/4 | |
8時頃、三重連の383列車やってきた. |
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龍ヶ森-岩手松尾 28643+8620+28667 【昭和40年3月18日】 連続写真2/4 | |
龍ヶ森-岩手松尾 28643+8620+28667 【昭和40年3月18日】 連続写真3/4 | |
眼前を通り過ぎる三重連は奥中山のD51三重連とは別の趣があった. |
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龍ヶ森-岩手松尾 28643+8620+28667 【昭和40年3月18日】 連続写真4/4 | |
龍ヶ森-赤坂田 28644 【昭和40年3月18日】 | |
大館6:10始発の334列車は9時過ぎにやってくる. |
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龍ヶ森-赤坂田 28644 【昭和40年3月18日】 | |
初めての龍ヶ森は雪も少なかったので次の早期再訪を期してこれで終わりにして10:01発の317Dで大館へ、そして奥羽本線矢立峠に向かった. |
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荒屋新町駅 48685 【昭和40年3月18日】 | |
317Dは荒屋新町で上り貨物列車と交換. |
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龍ヶ森-岩手松尾 38688+28644+28643 【昭和40年12月26日】 連続写真1/6 | |
同じ昭和40年の年末に再訪した.ロケーションの良さは確認済みなので今回は丸3日を計画している.前日の12/25、この年の10/1ダイヤ改正で新設された気動車急行上野7:40発201D「第1みちのく」で好摩16:43着、86牽引の17:04発341列車で汽笛と走行音を楽しみながら翌日からの撮影に期待に胸を膨らませて龍ヶ森に17:54に着いた. |
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龍ヶ森-岩手松尾 38688+28644+28643 【昭和40年12月26日】 連続写真2/6 | |
朝の三重連が雪降る中をやってきた. |
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龍ヶ森-岩手松尾 38688+28644+28643 【昭和40年12月26日】 連続写真3/6 | |
龍ヶ森-岩手松尾 38688+28644+28643 【昭和40年12月26日】 連続写真4/6 | |
龍ヶ森-岩手松尾 38688+28644+28643 【昭和40年12月26日】 連続写真5/6 | |
龍ヶ森-岩手松尾 38688+28644+28643 【昭和40年12月26日】 連続写真6/6 | |
龍ヶ森-赤坂田 28670 【昭和40年12月26日】 | |
大館始発の1326列車は9時過ぎにやってきた. |
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龍ヶ森-赤坂田 78646 【昭和40年12月26日】 | |
盛岡7:50始発の「龍ヶ森銀嶺号」は龍ヶ森駅でたくさんのスキー客を降ろし荒屋新町まで回送される. |
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龍ヶ森-赤坂田 48633 【昭和40年12月26日】 | |
後補機が押す上り貨物列車. |
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龍ヶ森-赤坂田 48633 【昭和40年12月26日】 | |
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龍ヶ森-岩手松尾 48633+8620 【昭和40年12月26日】 | |
一日中降っていた雪が夕方になってやっと止んだ. |
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【昭和40年12月の残りの撮影分は「その2」に続きます】 |