「蒸気機関車がいた時代」

伯備線 昭和41・43・45年

 初めて伯備線に行ったのは昭和41年、暑い夏の日の夕方新見機関区を訪ねた。伯備線のD51だけではなく芸備線、姫新線のC58もいてとても活気があった。中国山地の山あいにある新見の町は鉄道の町、古くからの交通の要衝と言える町だったが城下町らしい格調と落ち着いた雰囲気があった。

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新見機関区 D51群 【昭和41年7月】
芸備線経由で新見機関区を訪問した。山あいの新見の町、暑い夏の日も夕方になりやっと涼しくなってきたようだ。


新見機関区 C58 【昭和41年7月】
姫新線、芸備線用のC58.。


新見機関区 C58 【昭和41年7月】


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上石見 D51+D51 【昭和41年7月】
新見で泊まった翌日、岡山から鳥取へ県境を越えた最初の駅、伯備線でもっとも標高の高い上石見を訪れた。


上石見 D51 【昭和41年7月】


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上石見 D51 【昭和41年7月】
上り列車が駅を出ると県境の谷田峠のトンネルが目前、既に前照灯を点けている。知っている人は窓を閉め始めているようだ。


上石見 D51 【昭和41年7月】


新見機関区 D51が4両とC58 【昭和43年12月】
昭和43年12月に再訪した。


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新見機関区 C58 【昭和43年12月】
芸備線のC58。


新見機関区 D51 【昭和43年12月】
伯備線のD51。


布原信号場 D51+D51+D51 【昭和43年12月】
この時は既にD51三重連が有名になっていた。足立(あしだち)から姫路の新日鉄広畑まで石灰石を運ぶ列車は本来重連だったが、ある時期から回送の1台が加わり三重連になったらしい。


布原信号場 D51+D51+D51 【昭和43年12月】
すれ違いの気動車を待つ三重連。山峡には朝霧がたちこめている。


布原信号場 D51 【昭和43年12月】
煉瓦造りの鉄橋の支柱がとてもいい。


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布原信号場 D51+D51 【昭和43年12月】


布原信号場 C58 【昭和43年12月】
布原の次の備中神代から芸備線に分岐する列車。


布原信号場 D51+D51+D51 【昭和43年12月】


布原信号場 D51+D51+D51 【昭和43年12月】


布原信号場 C58 【昭和43年12月】


布原信号場 D51 【昭和43年12月】


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布原信号場 C58+C58 【昭和43年12月】


布原信号場 C58 【昭和43年12月】


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布原信号場 D51+D51 【昭和43年12月】
右奥の民家は2階の屋根にまるでお寺の庫裏の様な立派な煙出しをつけている。


布原信号場 D51 【昭和43年12月】


布原信号場 D51 【昭和43年12月】


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布原信号場 C58 【昭和43年12月】


布原信号場 D51+D51+D51 【昭和43年12月】


布原信号場 D51+D51 【昭和43年12月】


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布原信号場 D51+D51 【昭和43年12月】


布原信号場 D51 【昭和43年12月】


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場所不明 D51 【昭和45年4月】 連続写真1/3
備中神代か?谷あいに朝霧が立ち込める。


場所不明 D51 【昭和45年4月】 連続写真2/3


場所不明 D51 【昭和45年4月】 連続写真3/3


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布原信号場 D51+D51 【昭和45年4月】
昭和45年、最後に訪問した布原は小雨だった。


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