「蒸気機関車がいた時代」 函館本線 山のD51 その1 昭和41・42年 |
|
函館本線は函館-長万部間ではD52が主役、そして長万部-小樽間ではC62重連が主役というように、最も多く走っていたD51はいつも脇役だった。特に「山線」とも呼ばれていた長万部-小樽間では、いくつもの峠を圧倒的な迫力で駆け抜けるC62重連の急行「ていね」の陰に隠れてどうしても目立たない存在だったが、沿線の生活、風景と一体になった本当の主役は明らかにD51だった。 |
|
上目名 【昭和41年3月】 | |
しんしんと雪が降る中をD51が牽く列車が現れた. |
|
上目名駅 【昭和41年3月】 | |
雪降る夕暮れの上目名駅に函館発の123列車が到着. 次の目名までの通票を持っている駅員さんの帽子も、あっという間に白くなった. |
|
戻る | |
倶知安駅 【昭和41年3月】 | |
吹雪の倶知安駅、貨物の入換えのD51が忙しく踏切を往復する. |
|
倶知安機関区 【昭和42年2月】 | |
倶知安区にはD51と胆振線、岩内線用の二つ目の9600が配置されていた. |
|
倶知安機関区 【昭和42年2月】 | |
小沢駅 【昭和42年2月】 | |
破風状の入口の屋根がいかにも北海道らしい形をしている.当時は北海道でも木造駅舎があたり前だった.そして屋根は凍結に弱い瓦ではなくトタン葺きで、落雪止めの材木が何本も乗っている.更にガラス窓は二重でもすきま風防止用のビニールを張っておくのが冬の標準仕様だった.北海道では、外はいくら寒くても待合室がとにかく暖かくてありがたかった.ストーブは火力の強い石炭が燃え盛り、火力が落ちれば客が石炭をくべることもできた.モワッとした空調の暖かさではなく、火に当たる気持ちよさは格別だった. |
|
小沢駅 【昭和42年2月】 | |
稲穂峠を越えてきた上り普通列車が小沢駅に到着.小沢は地形的に谷底にあり、小休止の後ここを出るといきなり倶知安峠まで7kmを超える1000分の20の連続急勾配がはじまる. |
|
小沢駅 【昭和42年2月】 | |
岩内線に入る9600が牽く貨物列車. |
|
小沢 【昭和41年3月】 | |
稲穂峠に向かう下り普通列車、風が強い. |
|
倶知安駅 【昭和42年3月】 | |
上り普通列車が到着、特急「北海」の誕生を祝うモールと看板が見える. |
|
倶知安駅 【昭和42年3月】 | |
上り普通列車が到着. |
|
倶知安駅 【昭和42年3月】 | |
上りの小樽発長万部行き普通136列車がやってきた. |
|
比羅夫駅 【昭和42年3月】 | |
下り普通列車が停車中.羊蹄山の全容が見られるのは週に1回くらいしかなかったような気がする. |
|
比羅夫駅 【昭和42年3月】 | |
ムシロと丸太で作られた吹きだまり防止用の柵がなつかしい. |
|
比羅夫駅 【昭和42年3月】 | |
この区間に9600が現れるとは・・・. |
|
比羅夫駅 【昭和42年3月】 | |
倶知安から目名を往復する2両編成の気動車だが、不具合を起したため救援用に9600が出動したらしい. |
|
蘭越駅 【昭和41年3月】 | |
室蘭本線が不通となり下り特急「おおとり」が迂回でやってきた.こちらの上り普通122列車は変則的に木製ステップを置いて乗降している. |
|
目名駅 【昭和41年3月】 | |
蘭越の次の目名駅では3列車交換になった.左は函館行き普通122列車、真ん中の通票受け渡し中の列車は先ほどの下り「おおとり」と昆布で交換したと思われる迂回の上り特急「北斗」、その向こうは下り急行稚内行き「宗谷」. |
|
目名駅 【昭和41年3月】 | |
迂回の特急「北斗」が発車。千歳線・室蘭本線経由の特急を、山越えの多い函館本線に迂回させるだけで相当な遅れは確実.上りの特急を遅らせると、短時間で接続する青函連絡船、東北本線の上野行き優等列車と遅れが連鎖し長時間にわたり広範囲に影響が出るのでとにかく最優先で送り出すしかない. |
|
目名駅 【昭和41年3月】 | |
2枚前の写真と同じ配置.左は函館行き普通122列車、真ん中は迂回の上り特急「北斗」、右は下り急行稚内行き「宗谷」.この「宗谷」の函館発は3枚前の迂回特急「おおとり」の10分あとの11:25、ちなみに稚内到着は23:08.この日はダイヤが大きく乱れた. |
|
狩太 【昭和42年2月】 | |
この雪の着き方を見ると、2月の北海道にしては湿った雪だったようだ. |
|
狩太 【昭和42年2月】 | |
狩太 【昭和42年2月】 | |
羊蹄山は、下が晴れていてもなかなか山頂を見せてくれなかった. |
|
狩太 【昭和42年2月】 | |
この美しい山は、羊蹄山とは反対側に見えるニセコアンヌプリだが、列車を入れて撮ることはできなかった. |
|
狩太 【昭和42年2月】 | |
羊蹄山麓を、函館発旭川行きの普通121列車が行く. |
|
狩太 【昭和42年2月】 | |
いくつもの峠を越えて一駅一駅に停車し乗客を運ぶ.黙々と走る、それが“山のD51”の本領だ. |
|
狩太駅 【昭和42年2月】 | |
昆布までの通票を受け取る上り普通列車. |
|
黒松内駅 【昭和42年3月】 | |
午後の日を受け、下り普通137列車が到着. |
|
黒松内駅 【昭和42年3月】 | |
全てD51牽引の3本の列車交換後、上り122普通列車が発車していく.構内左には同じ上りの貨物列車が待避中、真ん中には下り137列車が見える. |
|
黒松内駅 【昭和42年3月】 | |
普通列車に先を譲った上りの貨物列車が発車していく. |
|
黒松内駅 【昭和42年2月】 | |
普通列車同士の交換、右は普通137列車、こちらは普通122列車. |
|
二股-蕨岱 【昭和42年2月】 | |
この季節にしては暖かい午後、上りの貨物列車が二股川を渡る. |
|
二股-蕨岱 【昭和42年2月】 | |
貨車の編成が美しい. |
|
長万部機関区 【昭和42年3月】 | |
長万部は鉄道の町だった. |
|
戻る | |
長万部機関区 【昭和42年2月】 | |
鉄道はたくさんの人たちに支えられていた. |
|
《 “山のD51”は、撮影年度順に掲載します 》 |