「蒸気機関車がいた時代」

函館本線 ところどころ 山線から小樽・札幌・岩見沢

函館本線は過去にC62の「急客シリーズ」、「山のD51シリーズ」、D52を主体にした「函館-長万部間シリーズ」を掲載しましたが、ここではその他のものを集めました。

黒松内駅 D51 【昭和42年3月】
黒松内駅構内のはずれ、蕨岱に向かう上り貨物列車。


 
蕨岱駅 C62 【昭和41年3月】  
曇り空の函館から乗った急行「宗谷」は、長万部を過ぎると雪になりやがて激しい降雪となった。上りの「ていね」との交換。デフレクターの右奥に駅名板が見えるが文字数からみて蕨岱と思われる。


 
上目名駅 【昭和41年3月】
「宗谷」が激しい降雪の上目名駅に臨時停車した。


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上目名駅 【昭和41年3月】
車内放送で走行に問題が発生とアナウンスされて、乗客が何人か顔を出している。


上目名駅 【昭和41年3月】
この時の記憶は全くないが、増結分?の2輌ほどを減車したように見える。


上目名 下り「宗谷」 【昭和41年3月】
別の日に上目名に行った。どのあたりか思い出せない。


倶知安機関区 9600 【昭和44年2月】


倶知安駅 DD15 【昭和45年2月】
除雪のため出動待ち。


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倶知安町内 【昭和47年3月】
こんな銭湯があった。


 
  岩内線 岩内駅 【昭和42年3月】  
初期のころは「乗りつぶし」も目的の一つだったこともあり岩内を往復した。水上勉の「飢餓海峡」を読んだのはずっと後のこと。


 
蘭島駅 下り特急「北海」 【昭和42年3月】 連続写真1/3
函館を4:45に出た11D下り特急「北海」旭川行きがやってきた。


蘭島駅 下り特急「北海」 【昭和42年3月】 連続写真2/3
終点旭川には11:10着。


蘭島駅 下り特急「北海」 【昭和42年3月】 連続写真3/3


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小樽駅 C55 【昭和42年3月】
函館から夜行の421列車に乗り小樽6:38着。構内には下り札幌方面へ向かう通勤通学列車を牽くC55が2輌待機していた。


小樽駅 C55 【昭和42年3月】
16号機は旭川機関区所属。


小樽駅 C55 【昭和42年3月】
36号機は苗穂機関区所属。小樽始発の札幌方面行き通勤列車の先頭に立つ。


小樽駅 C55 【昭和42年3月】


小樽駅周辺 【昭和47年3月】
小樽は坂が多い。雪が降っていたので駅の近くで少し撮った。


小樽駅周辺 【昭和47年3月】
傘をさす人は全くいない。


小樽駅周辺 【昭和47年3月】


小樽駅周辺 【昭和47年3月】


小樽駅前 【昭和47年3月】


札幌駅 上り「すずらん6号」 【昭和47年2月】

札幌23:00発の1218列車急行「すずらん6号」函館行きが発車間近となり、食べ物、飲み物などを仕入れる客で厳寒にもかかわらずホームには活気があふれている。


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札幌駅 上り「すずらん6号」 【昭和47年2月】  


 
 
札幌駅 上り「すずらん6号」 【昭和47年2月】  
この列車の函館着は6:10、連絡船は7:20発の20便で青森11:10着、11:51発の急行「きたぐに」に乗れば大阪には翌朝7:41着、12:25発の「はつかり3号」に乗ればその日の21:00上野着だ。函館に用事がある人の他はほぼ全員内地に行くのだろう、半分以上の人が連絡船に乗るのだろうか。


 
 
札幌駅 上り「すずらん6号」 【昭和47年2月】  


 
 
札幌駅 上り「すずらん6号」 【昭和47年2月】  
この列車は札幌を23:00に出て、千歳、苫小牧、東室蘭、洞爺、長万部、八雲、森、大沼、と停車し函館には6:10に着く。


 
 
岩見沢駅 C57 【昭和41年3月】  
小樽築港区所属C57牽引の函館本線上り普通列車が停車中。


 
 
岩見沢駅 C57 【昭和41年3月】  


 
 
岩見沢機関区 C11 【昭和41年3月】  
岩見沢機関区の写真は過去に掲載した「室蘭本線・夕張線」にもあります。


 
 
岩見沢駅前 【昭和47年3月】  
はっきりとした記憶はないが、駅前食堂で夕飯を食べ始発の夜行列車に乗るために札幌へ向かう際に駅前で撮ったものと思う。


 
   
岩見沢駅前 【昭和47年3月】  
まだスパイクタイヤが使えた時代。


 
 
岩見沢駅前 【昭和47年3月】  
バス、トラック、乗用車、タクシー、どの車も内地の雪国とは比べようもないほどのスピードで走っていた。


 
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岩見沢駅前 【昭和47年3月】  
この後夜行列車に乗ったはずだが記録がなくはっきりした記憶もない。


 
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