「蒸気機関車がいた時代」

函館本線 北のD52 その1 五稜郭・仁山

 噴火湾沿いに走る函館-長万部間は内地と北海道の間を移送される殆んど全ての物資が集中する。その区間の主役は五稜郭機関区のD52だった。五稜郭を出た列車は、噴火湾沿いの平坦な道に出る前に駒ケ岳の山麓を通らなければならず、渡島大野から大沼の間は下り列車にとって20‰の急坂があり貨物列車には全て補機がついた。

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五稜郭機関区 D52 404 【昭和44年3月3日】
「ごりょうかく」、この歴史を背負った重厚な語感が大型重量機関車D52の牙城としてふさわしい.


五稜郭機関区 D52 56 【昭和44年3月3日】


 
 五稜郭機関区 D52 56 【昭和44年3月3日】  
五稜郭機関区の扇形庫はこの昭和44年6月に火災で焼失してしまったが、この写真を見ると上部は木製の羽目板で火災に弱そうに見える.


 
 
  五稜郭機関区 D51 480 【昭和44年3月3日】
五稜郭にはD52だけではなくD51も配備されていた.


 
 
  五稜郭機関区 D52 136 【昭和44年3月3日】  
出払っている時間帯なのか、庫外の機関車は少なかった.


 
 
  五稜郭機関区 D52 136 【昭和44年3月3日】  
煙室ドアを開けて掃除中、ボイラーの太さがよくわかる.


 
五稜郭機関区 D52 136 【昭和44年3月3日】


五稜郭機関区 D52 136 【昭和44年3月3日】


五稜郭機関区 D52 136 【昭和44年3月3日】


仁山信号場 D51 566 【昭和41年3月19日】
各駅停車はすべてD51牽引.滑るように下りてくる.


仁山信号場 D52 400+D52 【昭和41年3月19日
D52のすぐ右に停車した列車の引き出し用に作られた加速線が見える.


仁山信号場 D52+D52 【昭和41年3月19日


仁山信号場 D52 400+D51 【昭和41年3月19日 連続写真1/4
信号場は急勾配の途中なので、貨物列車は全て通過のダイヤになっていたと思われる。


仁山信号場 D52 400+D51 【昭和41年3月19日 連続写真2/4
重連の貨物列車が猛烈なブラスト音とともに眼前をゆっくりと通過する.


仁山信号場 D52 400+D51 【昭和41年3月19日 連続写真3/4


仁山信号場 D52 400+D51 【昭和41年3月19日 連続写真4/4


仁山信号場 D52 400+D52 【昭和41年3月19日】 連続写真1/3


仁山信号場 D52 400+D52 【昭和41年3月19日】 連続写真2/3
これも重連の貨物列車の通過.


仁山信号場 D52 400+D52 【昭和41年3月19日】 連続写真3/3
山から吹き下ろす季節風に煙が大きく流される。
雪がひどくなる一方なので、再訪を期して2時間ほどで引き揚げた.


 
仁山信号場 D52 204 【昭和41年3月23日  
最急10‰の藤城線の開通がこの年の秋に迫っていたので4日後にまた行った.
函館-長万部間ではD51が牽く各駅停車よりも貨物列車が優先されたダイヤになっていた.


 
 
仁山信号場-熊の湯信号場 D52 140+D52 235 【昭和41年3月23日  


 
 
仁山信号場-熊の湯信号場 D52 140+D52 235 【昭和41年3月23日  


 
 
仁山信号場-渡島大野 D52 【昭和41年3月23日  
もう少し雪が欲しかった.


 
 
仁山信号場-渡島大野 105列車急行「ていね」 C62 30+…+D52 202 【昭和41年3月23日】  
これも見逃せない「ていね」の後補機仕業.


 
 
仁山信号場 D52 204 【昭和41年3月23日  


 
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仁山信号場 D52 204 【昭和41年3月23日  
この年の10月に藤城線が開通し仁山越えの補機運用はなくなった.


【「その2 大沼・姫川」に続きます】
 
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