「蒸気機関車がいた時代」

筑豊線

昭和40年夏の筑豊にはまだ石炭列車がたくさん走っていた。筑豊炭田の産出量は昭和30年代前半がピークで既に閉山が相次いでいたが、それでもこの時期の筑豊の鉄道にはまだまだ活気があり最後の光彩を放っていたという印象がある。
複線の架線がない大きな空の下をD50、D60、C55、9600、8620が右から左から走り来る姿を見ていると暑さも忘れるほどだった。

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若松機関区 D60 【昭和40年8月】
若松は筑豊炭田の石炭の積み出し港として鉄道が出来る前から発展した。 右奥に若戸大橋が見える。


 
若松機関区 8620 【昭和40年8月】  


 
若松機関区 8620 【昭和40年8月】


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若松機関区 9600 【昭和40年8月】
デフレクターのない9600、8620はいかにも大正期の機関車という印象がある。


若松機関区 9600 【昭和40年8月】


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若松機関区 9600 【昭和40年8月】


   
若松機関区 9600 【昭和40年8月】  


 
   
若松機関区 9600 【昭和40年8月】  


 
若松機関区 D60 【昭和40年8月】


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若松機関区 左から9600,C55,D60 【昭和40年8月】
若松機関区はスポーク動輪の機関車ばかりだった。


折尾駅 C55 上り普通列車 【昭和40年8月】
折尾駅の南側、若松行き普通列車の到着。


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折尾駅 8620 【昭和40年8月】
香月線に乗り入れる普通列車。筑豊にはバック運転の列車がよく走っていたが、このように無造作な形でどんどん蒸機牽引の列車を走らせるのがいかにも筑豊らしい。
筑豊線の上を交差している鹿児島本線の架線柱が見える。



折尾駅 D50 上り普通列車 【昭和40年8月】
すでに暑い夏の朝、通勤時間帯のせいか8両も牽いている。デッキからぶら下がっている人がいるが、車内が混雑しているからなのか、涼しさを求めてなのか。


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折尾-中間 9600 【昭和40年8月】
鹿児島本線への短絡線を黒崎・八幡方面に向かう9600が牽く列車。白い耐火材を積んだトムと後方にセラを牽いており、八幡製鐵(現新日本製鐵)の工場に直接入る列車かも知れない。その上には日炭高松炭鉱(昭和46年閉山)の搬送設備がある。


折尾-中間 9600 【昭和40年8月】
上のカットの続き。左から筑豊線上り線、筑豊線下り線、短絡線上り線、短絡線下り線の順に配置されている。カメラの位置で筑豊線下り線が短絡線上り線をオーバークロスする。


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折尾-中間 D60 上り貨物列車 【昭和40年8月】


折尾-中間 D50 上り貨物列車 【昭和40年8月】
後ろのコンクリート製建物には「高松炭鉱」(日本炭礦)とある。


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折尾-中間 9600 【昭和40年8月】
これは筑豊線の下り列車、空のセラを牽いている。右側に鹿児島本線からの短絡線の下り線が見える。


折尾-中間 D50 【昭和40年8月】
このような、空が広い複々線の区間が筑豊を象徴しているような気がした。そこを大正期の機関車たちが長い石炭列車を牽いて右から左からやってくる。なんと素晴らしい光景だったろうか。当時は蒸気機関車を撮ろうとすると、周辺の景観はひなびた風情になることが多かったが、筑豊だけは違った。筑豊にはまだまだ活気があり、当時の時刻表を見るとこの地点では旅客列車だけで1日37往復あり、そのうち20往復が気動車、17往復が蒸機牽引となっている。もちろん貨物列車を含めると断然蒸機列車が優勢となり、線路端で見ていると蒸機ばかり走っていたという印象がある。
この写真はかなり中間駅寄りで、右から筑豊線上り線、短絡線上り線、筑豊線下り線、短絡線下り線の順になり、この先で短絡線は筑豊線と合流する。



 
 折尾-中間 D50 【昭和40年8月】  


 
 
直方駅 D50 昭和43年7月  


 
 
直方駅 C11 昭和42年7月  
伊田線の普通列車はC11が牽いていた。


 
 
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飯塚駅 D60+C55 【昭和40年8月】
真夏の午後、この暑さが筑豊によく似合う。 といっても、舗装で固められエアコンの熱が充満している近年の都会よりも余程過ごしやすかった。 跨線橋の向うにはボタ山が見える。


飯塚駅 C55 【昭和40年8月】
標準的な筑豊線の客車列車はこのC55牽引の4両編成だった。他に筑豊地区の網の目のような支線の旅客列車も路線によっては蒸機牽引がかなりあり、基本はC11、行き止まりの線(香月線、室木線)は8620だったようだ。


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飯塚駅 D60 【昭和40年8月】 連続写真1/3
空車のセラを連ねて炭鉱に帰る。


飯塚駅 D60 【昭和40年8月】 連続写真2/3
大型機関車のバック運転は筑豊線以外ではまず見られなかったが、ここなら様になっている。


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飯塚駅 D60 【昭和40年8月】 連続写真3/3


飯塚駅 D50 【昭和40年8月】 連続写真1/3
筑豊のD50では、140号機と204号機が特によかった。


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飯塚駅 D50 【昭和40年8月】 連続写真2/3


飯塚駅 D50 【昭和40年8月】 連続写真3/3
暑い盛りで運転室は灼熱状態にあるはずだが、どんなに気温が上がろうがダイヤ通り坦々と走ることが鉄道の役割だ。


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鯰田駅 D50 【昭和40年8月】
筑豊ではこのような普通の貨物列車は珍しい。


筑前植木駅 D60 昭和43年7月


筑前植木駅 D60 【昭和43年7月】


 
 
直方機関区 D60 【昭和43年7月】  


 
 
直方機関区 D50 【昭和43年7月】  


 
 
直方機関区 D50 【昭和43年7月】  


 
 
直方機関区 D60 【昭和43年7月】  


 
 
直方機関区 D60 【昭和43年7月】  


 
 
直方機関区 C55 【昭和43年7月】  


 
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直方機関区 C11・D60・C55 【昭和43年7月】  
直方機関区には、いつ行ってもスポーク動輪の機関車がゴロゴロしていた。




「夏・筑豊線」というタイトルですが今回の範囲は若松から飯塚までとしました。筑前内野から冷水峠を越え、筑前山家、原田までの区間がまたいいところなのですが、「筑豊」とは別の趣きです。ということで、そちらはまた別の機会に「夏・筑豊線冷水峠」というタイトルで掲載する予定です。

また、夏以外の季節の写真も別途掲載する予定です。
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