「蒸気機関車がいた時代」

筑豊 その1 昭和40夏-1

 初めて筑豊を訪れたのは昭和40年夏。当時の時刻表を見ると筑豊には網の目のように線路が敷かれている。既に炭鉱の閉山が相次いでいたが、まだ筑豊が最後の光彩を放っていた時期であり蒸気機関車が牽く客車列車があった路線だけでも、筑豊線、室木線、香月線、伊田線、田川線、上山田線、添田線、宮田線、日田彦山線などがあった。私の頭の中の筑豊には、盲腸線を別にすると若松-飯塚までの筑豊線、後藤寺線、伊田線、さらに田川の中心である後藤寺、伊田を中心に考えれば石炭と石灰が両雄であり、香春岳という全山石灰岩の山もある。そこから田川線、日豊本線の貨物支線を通り苅田港へは石炭と石灰の両方を運ぶ列車がたくさんあった。 日田彦山線では、中央部分の添田から平尾台の石灰搬出の石原町まであたりが域内だろうか。
 筑豊の「筑」は筑前の「筑」、「豊」は豊前の「豊」であることを思い出せば、この筑豊の領域はあながち外れていないかもしれない。

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室木線 室木駅 【昭和40年7月30日】  
初めての筑豊地区訪問は室木線.この頃は「乗りつぶし」にも興味があった.
遠賀川14:13発の873列車で終点室木に14:55着.夏の暑い盛りだが不思議と暑さの記憶がない.今と違って土や樹木が多かったからだろうか.


 
室木線 室木駅 38634 【昭和40年7月30日】  
バック運転で来た8620は車掌さんの誘導で機回し線を通り先頭に着き、15:15発の折り返し874列車となり遠賀川に向かう.
遠賀川から博多に行き、架線の下ではあったが上りの「はやぶさ」・「さくら」・「みずほ」を撮り、門司港発21:25発の夜行511列車で都城に向かう.


 
 
 折尾駅 D50 【昭和40年8月7日】  
 前日は日豊本線柳ヶ浦周辺で撮り福間のYH泊.福間から7時過ぎの電車で折尾に来た.折尾8:07発の718列車で若松に向かう予定だが、この列車は7:49着で時間があったので反対側の下り線のホームから進入を撮る.通勤時間帯のため8輌も牽いている.


 
 
 若松機関区 48694 【昭和40年8月7日】  
若松8:23着、1時間弱しかなかったのでドンドン撮る.全て撮影順です.


 
 
  若松機関区 38628 48694 【昭和40年8月7日】  


 
 
若松機関区 49693 【昭和40年8月7日】  
デフレクタのない86・96はいかにも大正機という印象があり好ましかった.


 
 
若松機関区 49693 【昭和40年8月7日】  


 
若松機関区 49693 【昭和40年8月7日】


若松機関区 49693 【昭和40年8月7日】  


 
若松機関区 D60 69 【昭和40年8月7日】  


 
若松機関区 D60 69ほか 【昭和40年8月7日】  


 
若松機関区 D60 69 【昭和40年8月7日】  
右奥に若戸大橋が見える.
この後、若松9:13発の8620が牽く香月行き415列車で香月へ向かう.


 
 折尾駅 C55 6 【昭和40年8月7日】  
折尾で停車時間があったので、ホームに出るとちょうど若松行き722列車がやってきた.


 
 折尾駅 48694 【昭和40年8月7日】
香月線に入る下り列車は8620のバック運転と決まっていた.


 
 香月駅 48694 【昭和40年8月7日】  
終点香月駅に10:21着.室木駅と同様に機回し線を通り先頭につき、折り返しの11:06発418列車となる.


 
中間-折尾 D50 318 【昭和40年8月7日】
 香月を往復し中間に11:18着.真夏の真昼間、日陰も殆んどない線路端を折尾方面に歩く.そもそも複線区間を蒸機列車がすれ違うことを見たことがなかったが、架線のない広々とした複々線区間に初めて接し衝撃を受けた.
 奥から手前に、筑豊線上り、黒崎への短絡線上り、筑豊線下り、短絡線下りの順に線路が並んでいる.もう少し後ろの折尾側に行くと立体交差がある.


 
中間-黒崎 49693 【昭和40年8月7日】  
これは筑豊線の下り列車、空のセラを牽いている.右側に鹿児島本線からの短絡線の下り線が見える.


 
中間-黒崎 79600 【昭和40年8月7日】  
 鹿児島本線への短絡線を黒崎・八幡方面に向かう9600が牽く列車.白い耐火材を積んだトムと後方にセラを牽いており、八幡製鐵(現日本製鉄)の工場に直接入る列車かも知れない.その上には日炭高松炭鉱(昭和46年閉山)の搬送設備がある.


中間-黒崎 79600 【昭和40年8月7日】  
 上のカットの続き左から筑豊線上り線、筑豊線下り線、短絡線上り線、短絡線下り線の順に配置されている.カメラの位置で筑豊線下り線が短絡線上り線をオーバークロスする.折尾、黒崎方面を見ているこの写真が筑豊本線と短絡線の関係が分かりやすい.左から筑豊線上り、筑豊線下り、黒崎への短絡線上り、短絡線下りの順.


 
中間-折尾 D50 140 【昭和40年8月7日】  
筑豊線上り貨物列車が行く.
後ろのコンクリート製建物には「高松炭鉱」(日本炭礦)とある.


 
伊田-上伊田 59647 【昭和40年8月7日】  
中間を2時間半ほどで引き揚げ、13:55発725列車で直方に14:15着、14:27発の935Dで伊田に14:53着、上伊田方面に歩く.空車の上り石炭列車が来る.


 
伊田-上伊田 59647 【昭和40年8月7日】  
全山石灰岩の「香春岳」(Wiki).現在は大きく形が変わっている.


 
 
伊田-上伊田 C11 162 【昭和40年8月7日】  
行橋からの田川線普通列車が来た.


 
 
伊田-上伊田 C11 300 【昭和40年8月7日】  
行橋行きの田川線普通列車.
画面左の二本煙突が有名な三井田川炭鉱(Wiki)、この二本煙突は今でも保存されているようだ.


 
 
伊田-上伊田 69642 【昭和40年8月7日】  
この列車は停車中.


 
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伊田-上伊田 69642とC11 162 【昭和40年8月7日】  
ここでは2時間ほど撮影し、このあと17:09発422列車で行橋18:01着.まだ十分に明るく機関区で撮影する.


 
【「昭和40年」はその2に続きます】
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