「蒸気機関車がいた時代」 関西本線 昭和39年 “鳥羽快速”とC51 |
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蒸気機関車の写真を撮り始めた頃、当時の憧れの的は優美で気品のあるスタイルの「C51」だった。昭和39年時点でも既に絶滅寸前で、化粧煙突、スポーク動輪のC51は亀山区の「C51 225」くらいしかいなかったのではなかろうかという状況だった。 鉄道趣味誌の情報で亀山区のC51で姫路-鳥羽間の通称“鳥羽快速”の加太越え後補機の運用があることを知り、昭和39年の3月と8月に亀山、柘植を訪ねた。 |
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亀山駅 下り急行「大和」 C57+…+C57 【昭和39年3月23日】 | |
東京から夜行の急行「大和」湊町行きに乗り、翌朝亀山で降りた。名古屋で5両切り離した9両編成の「大和」は、ここから加太越えのために後補機をつけて発車。この年の10月1日改正で東海道新幹線が開業する。 |
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亀山駅 名古屋発亀山終着の下り普通列車 C57 【昭和39年3月23日】 | |
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亀山機関区 D51 【昭和39年3月23日】 | |
加太越え用の集煙装置つきと紀勢線用と思われる集煙装置なしのD51が並んでいる。 |
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亀山機関区 D51 【昭和39年3月23日】 | |
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柘植駅 C57 【昭和39年3月23日】 | |
亀山から柘植まで乗った草津線の列車が出発していく。まだダブルルーフの客車が現役で走っていた。 |
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柘植 D51 【昭和39年3月23日】 | |
上りの貨物列車が峠に向かっていく。 |
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柘植 D51 【昭和39年3月23日】 | |
貨物列車には殆んど後補機がつく。 |
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柘植機関支区 C51 【昭和39年3月23日】 | |
“鳥羽快速”の後補機運用のため「C51 225」が待機中。模型のレイアウトにありそうなコンパクトな配置。 |
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柘植機関支区 C51 【昭和39年3月23日】 | |
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柘植機関支区 C51 【昭和39年3月23日】 | |
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柘植機関支区 C51 【昭和39年3月23日】 | |
大正の名機C51、美しい! |
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柘植駅 C51 【昭和39年8月10日】 連続写真1/3 | |
8月にもう1回訪ねた。草津線経由で10:14に到着した本務機C57“鳥羽快速”の後ろに連結、後補機として加太を越える。 |
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柘植駅 C51 【昭和39年8月10日】 連続写真2/3 | |
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柘植駅 C51 【昭和39年8月10日】 連続写真3/3 | |
よく見るとボックス動輪。 |
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亀山駅 C51 【昭和39年8月10日】 | |
“鳥羽快速”の後補機として加太を越え、亀山で開放。 |
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“鳥羽快速”2442列車:姫路06:23発-京都08:52発-草津09:23発-柘植10:18発-亀山10:47発-鳥羽12:11着 “鳥羽快速”2441列車:姫路20:56着-京都18:37発-草津18:16発-柘植17:33発-亀山17:00発-鳥羽15:30発 |
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“鳥羽快速”で往復すれば、京阪神から日帰りで伊勢神宮参詣が出来るダイヤになっている。 “鳥羽快速”は別名“参宮快速”とも呼ばれていたが、昭和40年10月1日のダイヤ改正で気動車準急「志摩」になり消滅した。 |
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亀山駅 C51 【昭和39年8月10日】 | |
継ぎ足しのない化粧煙突の美しさは225号機に勝る。 |
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亀山機関区 C57 【昭和39年8月10日】 | |
旅客用はすでにC57ばかりで、全て重油併燃装置つきだったようだ。 |
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亀山機関区 C57 【昭和39年8月10日】 | |
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亀山機関区 D51 【昭和39年8月10日】 | |
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亀山駅 C57 【昭和39年8月10日】 | |
名古屋機関区所属の赤いプレートのC57。 |
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亀山駅 C51 【昭和39年8月10日】 | |
春には現役だった225号機は既に休車になっていた。 |
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亀山駅 C51 【昭和39年8月10日】 |
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亀山駅 C51 【昭和39年8月10日】 |
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亀山駅 C51 【昭和39年8月10日】 |
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亀山駅 C51 【昭和39年8月10日】 | |
このまま廃車になったのかもしれない。 |