「蒸気機関車がいた時代」

関西本線 昭和39年  鳥羽快速C51

蒸気機関車の写真を撮り始めた頃、当時の写真仲間の憧れの的はなんと言っても「C51」だった。優美で気品のあるスタイルは他の機関車と比べても抜きん出ており、また昭和39年時点でも既に絶滅寸前で、所属で言うと亀山機関区、梅小路機関区、米子機関区などにしかおらず、しかも化粧煙突、スポーク動輪のC51は亀山区の「C51 225」くらいしかいなかったのではなかろうかという状況だった。
鉄道趣味誌の情報で亀山区のC51で姫路-鳥羽間の通称“鳥羽快速”の加太越え後補機の運用があることを知り、昭和39年の3月と8月に亀山、柘植を訪ねた。


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亀山駅 下り急行「大和」 C57 【昭和39年3月】
東京から夜行の急行「大和」湊町行きに乗り、翌朝亀山で降りた。名古屋で5両切り離した9両編成の「大和」は、ここから加太越えのために後補機をつけて発車。


亀山駅 下り急行「大和」 C57 【昭和39年3月】
後補機もC57。この年の10月1日の改正で東海道新幹線が開業し、同時に「大和」は編成が短くなり新設の急行「伊勢」との併結列車となった。(本務機のDF50への変更も同じ時期だったか) 鳥羽行きの急行「伊勢」はここ亀山で切り離され、各々6両編成となるのだが、さすがに6両なら加太越えでも補機はなかったと思われる。


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亀山駅 名古屋発亀山終着の下り普通列車 C57 【昭和39年3月】


亀山機関区 D51 【昭和39年3月】
加太越え用の集煙装置つきと紀勢線用と思われる集煙装置なしのD51が並んでいる。


亀山機関区 D51 【昭和39年3月】


亀山機関区 C51 【昭和39年3月】
これもC51だが、パイプ煙突だった。


柘植駅 C57 【昭和39年3月】
亀山から柘植まで乗った草津線の列車が出発していく。まだダブルルーフの客車が現役で走っていた。


柘植 D51 【昭和39年3月】
上りの貨物列車が峠に向かっていく。


柘植 D51 【昭和39年3月】
貨物列車には殆んど後補機がつく。


柘植機関支区 C51 【昭和39年3月】
“鳥羽快速”の後補機運用のため「C51 225」が待機中。模型のレイアウトにありそうなコンパクトな配置。


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柘植機関支区 C51 【昭和39年3月】


柘植機関支区 C51 【昭和39年3月】


柘植機関支区 C51 【昭和39年3月】


柘植機関支区 C51 【昭和39年3月】
大正の名機C51、なんたる優美さ、美しい!


柘植駅 C51 【昭和39年8月】 連続写真1/3
8月にもう1回訪ねた。草津線経由で10:14に到着した本務機C57“鳥羽快速”の後ろに連結、後補機として加太を越える


柘植駅 C51 【昭和39年8月】 連続写真2/3


柘植駅 C51 【昭和39年8月】  連続写真3/3
よく見るとボックス動輪。


亀山駅 C51 【昭和39年8月】
“鳥羽快速”の後補機として加太を越え、亀山で開放。
“鳥羽快速”2442列車:姫路06:23発-京都08:52発-草津09:23発-柘植10:18発-亀山10:47発-鳥羽12:11着
“鳥羽快速”2441列車:姫路20:56着-京都18:37発-草津18:16発-柘植17:33発-亀山17:00発-鳥羽15:30発
“鳥羽快速”で往復すれば、京阪神から日帰りで伊勢神宮参詣が出来るダイヤになっている。
“鳥羽快速”は別名“参宮快速”とも呼ばれていたが、
昭和40年10月1日のダイヤ改正で気動車準急「志摩」になり消滅した。


亀山駅 C51 【昭和39年8月】
継ぎ足しのない化粧煙突の美しさは225号機に勝る。


亀山機関区 C57 【昭和39年8月】
旅客用はすでにC57ばかりで、全て重油併燃装置つきだったようだ。


亀山機関区 C57 【昭和39年8月】


亀山機関区 D51 【昭和39年8月】


亀山駅 C57 【昭和39年8月】
名古屋機関区所属の赤いプレートのC57。


亀山駅 C51 【昭和39年8月】


亀山駅 C51 【昭和39年8月】


亀山駅 C51 【昭和39年8月】


亀山駅 C51 【昭和39年8月】


亀山駅 C51 【昭和39年8月】


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亀山駅 C51 【昭和39年8月】
この時はすでに無火だった。 このまま廃車になったのかもしれない。


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