「蒸気機関車がいた時代」

磐越東線・水郡線

 年末も近い昭和37年12月28日、磐越東線と水郡線に行った。日帰りで上野→平→小野新町→(国鉄バス)→磐城石川→水戸→上野というルートだったが、師走のあわただしさとは無縁の穏やかな冬の一日が印象に残っている。
 水郡線はその時限りだったが、磐越東線にはその後も昭和41年10月、昭和42年2月、昭和42年6月にも1日ずつ訪問した。

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磐越東線 【昭和37年12月】
平10:58発の郡山行き719列車の車窓から.磐越東線の列車は全てD60が牽いていた.


磐越東線 【昭和37年12月】
平で買った駅弁を食べて、列車は阿武隈山地に分け入る.
カメラは自動露出のキャノネット、中学2年生だったので日帰りするしかなかった.



磐越東線 小野新町駅 【昭和37年12月】
小野新町で下車、国鉄バス乗り換えまで時間があったので駅周辺で撮った.


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磐越東線 小野新町駅 【昭和37年12月】
平行き列車が発車して行く. このあと13:15発の国鉄バスで水郡線の磐城石川へ向かったのだが駅前でバスの写真も撮っておけばよかった.


水郡線 磐城石川駅 【昭和37年12月】
郡山行きの335Dが停車中.


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水郡線 磐城石川駅 【昭和37年12月】
交換の郡山始発の14:56発水戸行き340Dが到着し客がどっと降りてきた.どこの路線でも乗客が増えていた時代だった.


水郡線 磐城石井駅 【昭和37年12月】
冬の日がだいぶ傾いてきた.水戸へ向かう途中磐城石井で15:40発郡山行き337Dと交換、沿線は美しい田園が続きとてもいい雰囲気だった.


水郡線 磐城石井駅 【昭和37年12月】
当時でも珍しかったキハユニ15がいた


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水郡線 常陸大子 【昭和37年12月】
水郡線はこのとき限りになった.


磐越東線 川前駅 【昭和41年10月】 連続写真1/3
4年ぶりに昭和41年秋に2回目の訪問をした.
磐越東線は最急勾配が20‰、下り列車は小川郷から川前の先まで、上り列車は三春から船引まで急坂が続く.


磐越東線 川前駅 【昭和41年10月】 連続写真2/3


磐越東線 川前駅 【昭和41年10月】 連続写真3/3
殆んど見た記憶がないが混合列車も走っていた.


磐越東線 江田信号場 【昭和41年10月】
小川郷と川前の間にある江田信号場は20‰の急勾配途中だが、単線の本線から平坦の加速線を1本引き出しただけという簡素な線路配置のスイッチバックだった.


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磐越東線 川前 【昭和41年10月】


磐越東線 川前 【昭和41年10月】
大きな給水塔が印象的な川前駅.


磐越東線 川前 【昭和41年10月】


磐越東線 川前 【昭和41年10月】


磐越東線 川前 【昭和41年10月】
暖かい秋の一日だった.


磐越東線 【昭和42年6月】
3回目の訪問は昭和42年6月、初夏の夏井川渓谷を行く.


磐越東線 【昭和42年6月】
緑があふれんばかりの美しい渓谷、気温が上がり夏のようだった.


磐越東線 【昭和42年6月】


磐越東線 【昭和42年6月】
単機回送が平に向かう.


磐越東線 【昭和42年6月】


磐越東線 要田駅 【昭和42年2月】
昭和42年2月、北海道の行きがけに寄った.


磐越東線 要田駅 【昭和42年2月】


磐越東線 要田 【昭和42年2月】


磐越東線 要田 【昭和42年2月】 連続写真1/4


磐越東線 要田 【昭和42年2月】 連続写真2/4


磐越東線 要田 【昭和42年2月】 連続写真3/4


磐越東線 要田 【昭和42年2月 連続写真4/4
桑畑がたくさんあった.


磐越東線 要田 【昭和42年2月】
郡山行きが絶気で下ってきた、短い汽笛が冷たい空気を引き裂くように響き渡る.


 
磐越東線 要田 【昭和42年2月】
 

 
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磐越東線 要田駅 【昭和42年2月】

磐越東線は昭和43年9月に無煙化された.


 
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