「蒸気機関車がいた時代」

会津線・只見線

会津線と只見線はどちらも機関車はC11のみで、当時は奥会津の美しい山村をつなぐローカル線という印象があった。
昭和42年に免許を取ってからは、いろいろな場所に車で行くようになったが、東京から会津に行く場合、国道4号線を北上し、小山から分かれ壬生、鹿沼を通り、例幣使街道Wikiで今市へ、さらに江戸期には会津松平家の参勤交代の道だった会津西街道Wikiを北上、鬼怒川、五十里湖、そして県境の山王峠を越えると会津滝ノ原に出る。そのまま北上すれば田島、湯野上を通り会津若松へと続き、滝ノ原、田島から西に向かえば素晴らしく整備された砂利道の県道、国道を通り只見線に出る。
車での撮影旅行はどこへ行くにしても徹夜で走り数時間仮眠して明け方から撮り始めるという行程で、夜も車の中で寝るということをやっていた。

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会津若松駅 【昭和38年8月】
中学3年の時にキャノネットを持って出かけた時の写真。今となっては会津線、只見線のどちらか不明だが、シールドビーム導入前で鉄道荷物輸送も活発そうでそれなりの古さを感じさせる。


会津若松駅 【昭和38年8月】
左後ろの磐越西線のD50が気になる。


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郷戸駅 【昭和42年10月】
この写真以降は車で行った時のもので、つまみ食い的に場所を変えているので撮影地が全然分からなくなってしまった。
当初、駅不明としていましたが柳津観光協会の事務局長さんから「郷戸駅」と教えていただきました。ありがとうございました。



郷戸駅 【昭和42年10月】


会津柳津駅 【昭和42年10月】


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会津柳津駅 【昭和42年10月】


会津柳津駅 【昭和42年10月】
高校生の通学列車のようだ。


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会津柳津駅 【昭和42年10月】
ここには圓藏寺という古刹があり、柳津はその門前町である。後年、鉄道写真をやめてからも会津が好きでこのあたりにも何回か行ったことがあり圓藏寺も訪問した。


会津柳津駅 【昭和42年10月】


場所不明 【昭和47年10月】
会津の美しい山里とC11の短編成の列車がよく似合う会津には秋がふさわしいようだ。
昭和47年3月の北海道を最後に殆んど撮らなくなったので、この10月の会津線・只見線は最晩年の鉄道写真となった。


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【昭和47年10月】
車での移動中。集落内でも殆んど未舗装だったが、とにかく会津の砂利道はよく整備されて走りやすかった。
火の見櫓と辻堂、手前の右には馬頭観音像や道祖神のようなものが・・・。日本の山村の原風景に見える。



【昭和47年10月】
とある民家ここも養蚕が盛んな時期があったのだろうか。


会津高田駅 【昭和47年10月】
朝霧の会津盆地。通勤通学客がたくさんいる。
当初、駅不明としていましたが柳津観光協会の事務局長さんから「会津高田駅」と教えていただきました。ありがとうございました。


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会津高田駅 【昭和47年10月】


塔寺駅 【昭和47年10月】
当初、駅不明としていましたが柳津観光協会の事務局長さんから「塔寺駅」と教えていただきました。ありがとうございました。


塔寺駅 【昭和47年10月】


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塔寺駅 【昭和47年10月】
なんとも風情のある駅


会津田島駅 【昭和47年10月】


会津田島駅 【昭和47年10月】


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会津田島駅 【昭和47年10月】


会津田島駅 【昭和47年10月】


会津川口駅 【昭和47年10月】


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会津川口駅 【昭和47年10月】


会津川口駅 【昭和47年10月】


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会津川口駅 【昭和47年10月】
こじんまりとしたたたずまいが会津線によく似合う。

ダム湖の高い鉄橋を渡る会津線ならではの写真が1枚もない、撮っておけばよかった。


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